東柳町・西柳町(読み)ひがしやなぎちよう・にしやなぎちよう

日本歴史地名大系 「東柳町・西柳町」の解説

東柳町・西柳町
ひがしやなぎちよう・にしやなぎちよう

中書島ちゆうしよじまにあり、江戸時代には堀内ほりうち村に属した。中書島の名は、城下町時代に所在した脇坂中務大輔安治の邸宅にちなむもので、中務大輔の唐名「中書」が地名として定着した。上京区の中書町も脇坂中務大輔の屋敷が聚楽第じゆらくだい時代にあったことによる。

「豊公伏見城ノ図」によれば、南浜町の辺りから中書島に蓬莱ほうらい橋が架けられ、南北に長い中書島の北部に「脇坂中務」、その南に「同下屋敷」と記され、島の南部は葭島となっているところから、この島には脇坂氏の邸地しかなかったようである。


東柳町・西柳町
ひがしやなぎちよう・にしやなぎちよう

上京区五辻通七本松西入

北野天満宮きたのてんまんぐうの東、千本釈迦せんぼんしやか(大報恩寺)の南西に位置し、中央を東西に五辻いつつじ通が通る。

寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「柳町」、また元禄九年(一六九六)及び正徳・享保間の京大絵図には「枕丁」「まくら丁」とみえる。このようによばれた町が二分され、東柳町と西柳町の現町名が起こるのは寛政三年(一七九一)五月である(京都府地誌)。町名について「京都府地誌」では、かつて柳の大樹があったことによるとするが、「坊目誌」は、当地に後醍醐天皇の近臣藤原藤房の私邸柳殿があったことによるという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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