日本歴史地名大系 「東泉院跡」の解説 東泉院跡とうせんいんあと 静岡県:富士市旧吉原市・鷹岡町地区今泉村東泉院跡[現在地名]富士市今泉八丁目今泉(いまいずみ)村の字和田(わだ)にあった真言宗寺院。富士山東泉院弘法(こうほう)寺と称した。伝法(でんぼう)村六所浅間社(現富知六所浅間神社)の境内湧水池を水源とする和田川が吉原(よしわら)宿と今泉村の境を流れる辺りを和田と通称したといい、当院は和田川左岸、東海道より門前へ至る道沿いは江戸後期には賑わい町並に人家が並んでいた(測量日記)。「駿河志料」によれば、富士郡全域を信仰圏とし郡内に多くの末社があった富士浅間社(富士山本宮浅間大社)の末社のうち、富士下方(しもかた)における中心的な末社の六所浅間社・原田(はらだ)村浅間社(現滝川神社)・今宮(いまみや)村浅間社(現今宮浅間神社)・入山瀬(いりやませ)村新福地(しんふじ)浅間社(現浅間神社)と今泉村和田の日吉(ひよし)浅間社(現日吉浅間神社)の五社を下方五社と総称していた。東泉院は下方五社別当として、これら五社を統轄していた。東泉院は興法(こうほう)寺東泉院とも称し、中国より来朝した僧金監が開創、初め浄土(じようど)院と号していた。村山(むらやま)浅間社(現富士宮市)別当寺の興法寺ともとは一寺であったなどの記載がある。草創期については不詳だが、室町末頃には修験で、村山浅間社別当興法寺大鏡(だいきよう)坊、須津(すど)八幡宮(現中里八幡宮)別当の多門(たもん)坊とも密接な関係(同族)にあったという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by