日本歴史地名大系 「東町奉行所跡」の解説 東町奉行所跡ひがしまちぶぎようしよあと 京都市:中京区二条御城廻東町奉行所跡二条城の南、神泉苑(しんせんえん)に西隣した現西(にし)ノ京職司(きようしよくし)町東側付近に、寛文八年(一六六八)より慶応三年(一八六七)まで所在。東町奉行所は、寛永一一年(一六三四)郡代に任ぜられた五味備前守豊直の屋敷で、後任の小出越中守尹貞が役宅として使用していた。それを引継いで、寛文八年町奉行に任命された宮崎若狭守重成が入り、役屋敷とした。 東町奉行所跡ひがしまちぶぎようしよあと 大阪府:大阪市東区大手前之町東町奉行所跡[現在地名]東区大手前之町大坂城の北西、京橋(きようばし)口門外に元和五年(一六一九)から慶応三年(一八六七)まであった奉行所。初代東町奉行は久貝正俊で元和五年の補任(大阪市史)。水野信古を初代とし、久貝は二代で寛永一〇年(一六三三)補任とする説(柳営補任)、この両者と島田直時(東西の別不明)を補任とする説(徳川実紀)もあるが、元和五年奉行所を京橋口門外に設置した(大坂濫觴書一件)。明暦元年(一六五五)の大坂三郷町絵図に東町奉行松平隼人正(重綱)の名が記され、西に曾我丹波守古祐の名がみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by