東西条(読み)とうさいじよう

日本歴史地名大系 「東西条」の解説

東西条
とうさいじよう

旧賀茂郡一帯をさす中世の地域呼称。大永三年(一五二三)八月一〇日付安芸東西条所々知行注文(平賀家文書)は「東西条所々」として「寺町村・御薗宇・東之村・寺家村三方・原之村・飯田村・阿土村・したみ村・上戸村・田口村・三永村・三永方・黒瀬・黒瀬乃美尾・仁賀田河尻・広浦・久芳・戸野郷・郡戸村・河内村・三浦・内海・重安名」をあげる。これによれば東西条の範囲は西条盆地はもとより、北の沼田ぬた川上流域、西の熊野くまの川沿い、南の黒瀬くろせ川流域、さらにはひろ(現呉市)から三津みつ(現豊田郡安芸津町)に至る瀬戸内海沿岸域をも含む広大なものであった。熊野(現安芸郡熊野町)も東西条のうちとされることがあった(弘治二年八月二九日付毛利隆元宛行状「閥閲録」所収福原二郎右衛門家文書)

西条盆地には明瞭な条里制遺構が認められるが、盆地中心部で東西に分れていたと推定される。これにちなんで古くから東半を東条郷、西半を西条郷とよんだらしく、正治元年(一一九九)一二月日付の伊都岐島社政所解(新出厳島文書)に「西条郷」の名がみえ、正平一三年(一三五八)一二月八日付後村上天皇綸旨(福成寺文書)には「東条郷之内三永村」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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