日本大百科全書(ニッポニカ) 「東陵永璵」の意味・わかりやすい解説
東陵永璵
とうりょうえいよ
(?―1365)
南北朝時代の曹洞(そうとう)宗宏智(わんし)派の渡来僧。中国四明(しめい)(浙江(せっこう)省)の人。無学祖元(むがくそげん)の俗姪(ぞくてつ)の子で、初め金陵保寧寺の古林清茂(くりんせいむ)(1262―1329)に参じ、のち、天童山の雲外雲岫(うんがいうんしゅう)(1242―1324)に参じて嗣法(しほう)し、四明天寧寺に住した。足利直義(あしかがただよし)の招聘(しょうへい)により1351年(正平6・観応2)来朝し、西芳(さいほう)寺、天竜寺、南禅寺、建長寺、円覚(えんがく)寺などに歴住し、1365年5月6日示寂。元(げん)国皇帝より妙応光国慧海慈済(えかいじさい)禅師の諡号(しごう)を賜っていた。法嗣(はっし)に中叟善庸(ちゅうそうぜんよう)などがいる。東明慧日(とうみょうえにち)(1272―1340)とともに曹洞宗で五山派に進出した珍しい人物。語録『璵東陵日本録(よとうりょうにほんろく)』1巻がある。
[石川力山 2017年3月21日]