松下正寿(読み)マツシタ マサトシ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「松下正寿」の解説

松下 正寿
マツシタ マサトシ


専攻分野
国際法

肩書
元・参院議員(民社党),元・立教大学総長

生年月日
明治34年4月14日

出生地
京都府京都市

出身地
青森県八戸市

学歴
立教大学商学部〔大正11年〕卒

学位
哲学博士

経歴
米国のコロンビア大学に留学。昭和4年立教大学教授。戦後「米州国際法の基礎理論」がもとで公職追放になるが、解除後は復職。30〜42年立教大学総長。極東軍事裁判で東条英機の副弁護人を務めたり、岸首相の特使として英政府にクリスマス島の原水爆実験の中止要請に行ったこともある。42年自民・民社の推薦で東京都知事選に立候補したが落選。翌43年から1期東京地方区選出の民社党参院議員をつとめた。50年にも都知事選に出馬したが敗れた。世界平和教授アカデミーの会長も務め、著書に「文鮮明 人と思想」「野に叫ぶ声」「聖徳太子政治家として」などがある。

所属団体
日本弁護士連合会

受賞
勲二等旭日重光章〔昭和49年〕

没年月日
昭和61年12月24日

家族
母=亀徳 しづ(助産婦) 兄=亀徳 正臣(青山学院大学教授)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「松下正寿」の解説

松下 正寿
マツシタ マサトシ

大正・昭和期の弁護士 元・立教大学総長;元・参院議員(民社党)。



生年
明治34(1901)年4月14日

没年
昭和61(1986)年12月24日

出生地
京都府京都市

出身地
青森県八戸市

学歴〔年〕
立教大学商学部〔大正11年〕卒

学位〔年〕
哲学博士

主な受賞名〔年〕
勲二等旭日重光章〔昭和49年〕

経歴
米国のコロンビア大学に留学。昭和4年立教大学教授。戦後「米州国際法の基礎理論」がもとで公職追放になるが、解除後は復職。30〜42年立教大学総長。極東軍事裁判で東条英機の副弁護人を務めたり、岸首相の特使として英政府にクリスマス島の原水爆実験の中止要請に行ったこともある。42年自民・民社の推薦で東京都知事選に立候補したが落選。翌43年から1期東京地方区選出の民社党参院議員を務めた。50年にも都知事選に出馬したが敗れた。世界平和教授アカデミーの会長も務め、著書に「文鮮明 人と思想」「野に叫ぶ声」「聖徳太子―政治家として」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松下正寿」の解説

松下正寿 まつした-まさとし

1901-1986 大正-昭和時代の国際法学者。
明治34年4月14日生まれ。昭和4年立大教授。東京裁判では東条英機の弁護人をつとめる。30年立大総長。36年核兵器禁止平和建設国民会議議長。43年民社党から参議院議員当選。昭和61年12月24日死去。85歳。青森県出身。立大卒。著作に「明日をひらく思考」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「松下正寿」の解説

松下 正寿 (まつした まさとし)

生年月日:1901年4月14日
大正時代;昭和時代の国際法学者;政治家。立教大学総長;参議院議員
1986年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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