松原湊(読み)まつばらみなと

日本歴史地名大系 「松原湊」の解説

松原湊
まつばらみなと

[現在地名]彦根市松原一丁目など

琵琶湖と松原内湖を結ぶ四本の水路のうち、最南の四ッ川一帯にあった湊。中世から佐和山さわやま城の外港として発達したが、江戸時代になって彦根藩の手厚い保護をうけ、彦根三湊(松原湊・長浜湊・米原湊)の一として重要な位置を占めた。

元亀二年(一五七一)二月、佐和山城主磯野員昌が織田信長の軍門に下り、新庄しんじよう(現高島郡新旭町)へ移される際、佐和山城の城代となった信長家臣丹羽長秀は、堅田から一〇〇艘の船を松原浦へ回漕するよう「堅田諸侍」に命じている(同月一七日「丹羽長秀書状」堅田村旧郷士共有文書)。同四年五月信長は「多賀・山田山中」の材木をとらせ、善利せり(芹川)を流して松原に運び、大船一〇〇艘を建造することを命じ、同年七月完工式に臨んでいる。このとき国中の鍛冶・番匠・杣が招集されたという(「信長公記」、「兼見卿記」七月四日条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の松原湊の言及

【彦根[市]】より

…城下から中山道には2本の新道が付けられ,鳥居本,高宮の両宿場と結ばれた。また城下の外港として琵琶湖に臨む松原湊が開発され,近世を通じ藩の湖上運輸の要港となった。 彦根城下には,寺社や商工業者が誘致されたが,町は本町手組を筆頭として四十九町手組,川原町手組,彦根町手組の4手に分けられ,彦根町奉行の支配下に置かれた。…

※「松原湊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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