日本歴史地名大系 「松原湊」の解説
松原湊
まつばらみなと
琵琶湖と松原内湖を結ぶ四本の水路のうち、最南の四ッ川一帯にあった湊。中世から
元亀二年(一五七一)二月、佐和山城主磯野員昌が織田信長の軍門に下り、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
琵琶湖と松原内湖を結ぶ四本の水路のうち、最南の四ッ川一帯にあった湊。中世から
元亀二年(一五七一)二月、佐和山城主磯野員昌が織田信長の軍門に下り、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
…城下から中山道には2本の新道が付けられ,鳥居本,高宮の両宿場と結ばれた。また城下の外港として琵琶湖に臨む松原湊が開発され,近世を通じ藩の湖上運輸の要港となった。 彦根城下には,寺社や商工業者が誘致されたが,町は本町手組を筆頭として四十九町手組,川原町手組,彦根町手組の4手に分けられ,彦根町奉行の支配下に置かれた。…
※「松原湊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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