日本歴史地名大系 「大津浦」の解説
大津浦
おおつうら
〔豊臣秀吉の時代〕
天正一二年(一五八四)秋大坂城の普請が一段落するに伴い政治の中心は大坂に移り、湖上水運も拠点を坂本から大津へ移す必要があった。つまり軍用船の整備や東国・北国の諸大名の参勤用の船を維持すること、さらに直轄領(蔵入地・台所入とも)のうち東海道・東山道・北陸道諸国にあった八〇万石余の米の大半の輸送を湖上水運を用いて大津に回漕することが要求された。そのために編成されたのが大津百艘船で、その由緒書(木村文書)によれば、秀吉は大津に一〇〇艘の船を置くことを命じ、坂本・堅田や
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報