松平城跡
まつだいらじようあと
[現在地名]豊田市松平町 赤原・三斗蒔、
豊松町 上城坂、
大内町 城山
通例、松平館跡・郷敷城跡・松平城山城跡の三館跡をさす。居館としての松平館跡は松平町赤原の松平神社境内にあって、松平氏発祥の地と伝える。現存する石垣や水濠は、七代尚栄が関ヶ原戦後に築いたといわれ、面積は三二三・四平方メートル。
戦時用の一名郷敷城とよばれる松平城跡は松平町三斗蒔にあり、面積は七三二・六平方メートル。松平館跡の南東五〇〇メートル、標高二九八メートルの山頂に本丸跡がある。応永(一三九四―一四二八)の頃、松平氏初代親氏の築城といわれる。
松平城跡
まつだいらじようあと
[現在地名]水府村松平 平
天下野街道の東側の高台にあり、別名平城。中心部は内城とよばれ、北側から西側にかけ空堀遺構が歴然と残る。堀の北は高さ二十数メートルの崖で、その下は谷川が流れる。西下の集落を唐目といい城の搦手から名付けられた。「水府村史」によれば山入義郷が応永年間(一三九四―一四二八)に築城し、松平氏(のち高柿氏)を名乗り子孫も居住したが、山入氏に対抗して追われたこともあった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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