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田代松意 たしろしょうい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

田代松意
たしろしょうい

江戸時代前期の俳人。別号,檀 (談) 林軒,冬嶺堂。延宝 (1673~81) 頃江戸神田鍛冶町に住み,俳諧談林と称する結社をつくった。延宝3 (75) 年夏東下した西山宗因に「されば爰 (ここ) に談林の木あり梅の花」の発句を請い受けて九吟百韻 10巻をつくり『談林十百韻 (とっぴゃくいん) 』と名づけて刊行,飛体 (とびてい) と呼ばれる新奇な作風で世間の耳目を驚かせた。以後『談林三百韻』 (76) ,『幕づくし』 (78) ,『談林軒端の独活 (うど) 』 (80) ,『功用群鑑』 (81) などを出したが,天和 (81~84) 頃には俳壇から消え去った。高木松意を同一人とする説は誤り。

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デジタル大辞泉の解説

たしろ‐しょうい【田代松意】

江戸前期の俳人。別号、談林軒など。西山宗因の門人。江戸で「談林十百韻(とっぴゃくいん)」を編む。編著「談林軒端(のきば)の独活(うど)」「功用群鑑」など。生没年未詳。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

田代松意 たしろ-しょうい

?-? 江戸時代前期の俳人。
江戸で野口在色らと俳諧(はいかい)結社俳諧談林をつくる。延宝3年(1675)西山宗因をまねいて俳諧を興行,同志と「談林十百韻(とっぴゃくいん)」を刊行し,談林の名を全国にひろめた。6年井原西鶴,葎宿(りつしゅく)と三吟三百韻を興行し,「虎渓の橋」を出版。本姓は高木。名は秀延。通称は新左衛門。別号に談林軒,冬嶺堂。編著に「軒端の独活(うど)」など。

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大辞林 第三版の解説

たしろしょうい【田代松意】

江戸前期の俳人。別号、談林軒など。俳諧談林の結社を開き、江戸俳壇に談林の新風を興した。その俳風は飛体とびていと呼ばれる。編著「虎渓の橋」「談林軒端のきばの独活うど」「功用群鑑」など。生没年未詳。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

田代松意
たしろしょうい

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世界大百科事典内の田代松意の言及

【松意】より

…江戸前期の俳人。生没年不詳。姓は田代,通称は新左衛門,別号は檀(談)林軒,冬嶺堂。江戸の人。1673年(寛文13)神田鍛冶町の草庵に,雪柴(せつさい),一鉄,在色(ざいしき)らを同人とする〈誹諧談林〉の結社を開いた。それ以前の経歴はまったく知られていない。75年(延宝3)東下中の宗因から得た発句を巻頭とした《談林十百韵(とつぴやくいん)》によって一躍名をはせた。俳風は,付合(つけあい)連想の異常な飛躍を特色として〈飛躰(とびてい)〉と呼ばれたが,《夢助(ゆめすけ)》(1679),《功用群鑑》(1679?)等の俳論は常識的で平凡である。…

※「田代松意」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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