松田定次(読み)まつだ さだつぐ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松田定次」の解説

松田定次 まつだ-さだつぐ

1906-2003 昭和時代映画監督
明治39年11月17日生まれ。牧野省三の子。中学卒業後,父の主宰する牧野教育映画撮影所にはいる。カメラマンなどをへて,昭和3年「かわいそうな大九郎」で監督デビュー。のち嵐寛寿郎の「鞍馬天狗」などで活躍。戦後は,東映市川右太衛門の「旗本退屈男」,片岡千恵蔵の「多羅尾伴内」,大川橋蔵の「新吾十番勝負」など数々の人気シリーズを監督。平成15年1月20日死去。96歳。京都出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の松田定次の言及

【忠臣蔵映画】より

…そして54年の松竹作品《忠臣蔵》(大曾根辰夫監督)で〈忠臣蔵〉という題名が復活した。忠臣蔵映画の最初のカラー作品は56年の東映作品《赤穂浪士》二部作(松田定次監督),最初のカラー・ワイド作品は57年の松竹作品《大忠臣蔵》(大曾根辰保監督)である。以後,東映,松竹,大映,東宝によるオールスター大作がつづき,78年には東映作品《赤穂城断絶》が,深作欣二監督,萬屋錦之介の大石内蔵助でつくられた。…

【牧野省三】より

… 横田商会,日活をへて,21年に独立して〈牧野教育映画撮影所〉(1925年には〈マキノ・プロダクション〉)を設立。直木三十五を〈食客〉として遇し,門下から,シナリオライターとして,寿々喜多呂九平(すすきたろくへい),山上伊太郎,監督として息子のマキノ正博(戦後マキノ雅弘と改名,現在はマキノ雅裕),金森万象,衣笠貞之助,中島宝三,沼田紅緑,井上金太郎,松田定次,久保為義,滝沢英輔,並木鏡太郎(山中貞雄や中川信夫もその助監督として働いており,内田吐夢,二川文太郎も世話になったことがある),それに俳優として,先の尾上松之助をはじめ,阪東妻三郎,市川右太衛門,嵐長三郎(のちの寛寿郎),片岡千恵蔵,沢村国太郎らの男優(いずれも時代劇スターとして一世をふうび),娘のマキノ輝子(のちのマキノ智子),森静子,岡島艶子,鈴木澄子,松浦築枝,大林梅子らの女優をスターとして育て,世に出している。 牧野の家系そのものも日本映画史の一つの流れをつくっているといってもよく,省三の子には,先にあげたマキノ智子(1907‐84。…

※「松田定次」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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