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林梅洞 はやし ばいどう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

林梅洞 はやし-ばいどう

1643-1666 江戸時代前期の儒者。
寛永20年8月11日生まれ。林鵞峰(がほう)の長男。13歳で朝鮮通信使と詩を唱和。寛文6年9月1日,24歳で早世。絶筆となった「史館茗話(めいわ)」を父鵞峰がかきたして刊行した。江戸出身。名は春信,愨(まこと)。字(あざな)は孟著。通称は又三郎。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

林梅洞

没年:寛文6.9.1(1666.9.29)
生年:寛永20.8.11(1643.9.23)
江戸前期の儒学者,漢詩人。名春信または愨,字孟著,通称又三郎,勉亭のち梅洞(梅花洞主)と号す。林鵞峰の長男。江戸生まれ。祖父羅山や叔父読耕斎の教えよろしく,12歳で朝鮮通信使と詩を唱和するなど,少時より才気に富む。成人してからは父鵞峰の『本朝通鑑』選定をよく助け,諸大名家にも招かれしばしば父に代わって講義し,家内門生らの教育にも意を用いた。朱子学を奉じ,詩文に老荘思想の影響も指摘されるが,それは精神の自由と解放を老荘をもって表現する前代の余韻であろう。多忙のためか期待されながらも早世。中絶した愛息の王朝漢詩逸話集『史館茗話』を,鵞峰が悲歎にくれながら書き継いだことは知られる。<著作>『梅洞林先生全集』

(宮崎修多)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

はやしばいどう【林梅洞】

1643‐66(寛永20‐寛文6)
江戸前期の儒者。名は,字は孟著,通称は又三郎。林鵞峰(がほう)(羅山の三男)の長男として江戸に生まれる。幼時から穎才(えいさい)を現し,将来を嘱望されていたが,24歳で夭逝した。父の鵞峰は哀惜はなはだしく,《泣血余滴》という長文の追悼文を草した。著書に《梅洞全集》《史館茗話(めいわ)》などがある。梅洞は夭逝しなければ,官学の宗家たる林家(りんけ)の第3代を継ぐ立場にあったが,その詩文には朱子学の道学主義にとらわれない自由な感慨が述べられていて,叔父の林読耕斎とともに初期の林家一門の文学愛好の風潮をよく示している。

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