コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

林読耕斎 はやし どっこうさい

3件 の用語解説(林読耕斎の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

林読耕斎 はやし-どっこうさい

1625*-1661 江戸時代前期の儒者。
寛永元年12月28日生まれ。林羅山(らざん)の4男。林鵞峰(がほう)の弟。松永尺五(せきご)にまなぶ。正保(しょうほ)3年(1646)幕府の儒官となり,別家をたてる。兄とともに「羅山先生集」を編集した。万治(まんじ)4年3月12日死去。38歳。京都出身。名は守勝,靖。字(あざな)は子文,彦復。通称は右近。僧号は春徳。著作に「本朝遯史(とんし)」など。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

林読耕斎

没年:寛文1.3.12(1661.4.11)
生年:寛永1.11.21(1624.12.31)
江戸前期の儒学者。初名守勝,のち靖または春徳。初字子文,のち彦復。通称右近。函三,読耕斎と号す。林羅山の4男。京都に生まれ,のち江戸移住。幼より兄鵞峰から読書を,また堀杏庵,那波活所ら羅山門人や金地院の良長老に学問を受く。博覧強記で,父や水戸家の蔵書を読破し,詩歌連句にいそしみ,『豊臣秀吉譜』『中朝帝王譜』編選などで父の代作を務め,朝鮮通信使と筆談した。多病にして官事を好まず,叔父方分家の相続を幕閣から再三勧められるが従わず,正保3(1646)年,老中連中の請によりやむなく剃髪して幕儒となる。明暦2(1656)年,法眼。主著の隠者叢伝『本朝遯史』は彼の隠逸志向の発露。詩仙堂三十六詩仙選出をはじめとして,その文事は初期林家の享楽的一面を示す。<著作>『読耕先生全集』

(宮崎修多)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

はやしどくこうさい【林読耕斎】

1624‐61(寛永1‐寛文1)
江戸前期の儒者。名は靖,字は彦復,通称は春徳。林羅山の四男として京都に生まれる。のち江戸に下り,父や兄の鵞峰(がほう)に続いて徳川幕府の儒官となった。博学強記を世に称せられたが,38歳で没した。著書に《読耕斎全集》《本朝遯史(とんし)》などがある。学統は当然のことに朱子学であるが,官学の宗家たる父や兄ほどには朱子学の正統を守らねばならないという制約が強くなかったので,詩文には必ずしも朱子学の道学主義にとらわれない自由な感慨を漏らすことが多い。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

林読耕斎の関連キーワード朝山素心春信三浦玄亀三宅擔庵宮後朝貞漢儒佐々十竹留守勝ち林鵝峰木俣守勝

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone