柴山矢八(読み)シバヤマ ヤハチ

20世紀日本人名事典 「柴山矢八」の解説

柴山 矢八
シバヤマ ヤハチ

明治・大正期の海軍大将,男爵 海軍大学校校長。



生年
嘉永3年7月13日(1850年)

没年
大正13(1924)年1月27日

出生地
薩摩国(鹿児島県)

経歴
明治4年米国に留学。7年海軍に入り中尉任官。8年江華島事件の交渉のため黒田清隆弁理大使に従い朝鮮に渡る。10年西南戦争に参加。12年初代水雷練習所長、16年水雷局長となる。同年西郷従道海相に随行して欧米に出張、その後筑波艦長、横須賀鎮守府参謀長、高千穂艦長、海軍兵学校長を経て、27年海軍少将に進む。日清戦争中は佐世保鎮守府司令長官、30年中将となり、常備艦隊司令長官を務める。海上部隊の重鎮として海軍軍政の山本権兵衛とともに帝国海軍の双璧と称される。のち、海軍大学校長、呉鎮守府司令長官、旅順口鎮守府司令長官などを歴任し、38年大将に昇進した。大正4年退職、同年男爵受爵。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「柴山矢八」の解説

柴山矢八 しばやま-やはち

1850-1924 明治時代の軍人
嘉永(かえい)3年7月13日生まれ。柴山良助,柴山愛次郎の弟。東郷平八郎従弟。海軍にはいり,初代の水雷術練習所長,水雷局長となり,水雷技術の向上につくす。のち筑波艦長,横須賀鎮守府参謀長,佐世保鎮守府司令長官,常備艦隊司令長官,海軍大学校長などを歴任。明治38年海軍大将。大正13年1月27日死去。75歳。薩摩(さつま)(鹿児島県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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