栗野慎一郎(読み)クリノ シンイチロウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「栗野慎一郎」の解説

栗野 慎一郎
クリノ シンイチロウ


肩書
枢密顧問官

生年月日
嘉永4年11月17日(1851年)

出身地
福岡県

経歴
明治14年外務省に入省し、翌年外務権少書記官となる。以来外務省の諸職につき逓信省に転じ逓相秘書官・取調局次長から東京郵便電信学校長を歴任後、再び外務省に戻って取調・政務各局長となる。27年から各国大使を務め、日露開戦時にはロシア兼スウェーデン公使としてロシアに赴任中であった。39〜44年フランス大使を務めて退官、翌45年子爵に叙せられる。のち昭和7年枢密顧問官に任ぜられ、宗秩寮審議官も兼ねた。

没年月日
昭和12年11月15日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「栗野慎一郎」の解説

栗野 慎一郎
クリノ シンイチロウ

明治期の外交官,子爵 枢密顧問官。



生年
嘉永4年11月17日(1851年)

没年
昭和12(1937)年11月15日

出身地
福岡

経歴
明治14年外務省に入省し、翌年外務権少書記官となる。以来外務省の諸職につき逓信省に転じ逓相秘書官・取調局次長から東京郵便電信学校長を歴任後、再び外務省に戻って取調・政務各局長となる。27年から各国大使を務め、日露開戦時にはロシア兼スウェーデン公使としてロシアに赴任中であった。39〜44年フランス大使を務めて退官、翌45年子爵に叙せられる。のち昭和7年枢密顧問官に任ぜられ、宗秩寮審議官も兼ねた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「栗野慎一郎」の意味・わかりやすい解説

栗野慎一郎
くりのしんいちろう

[生]嘉永4(1851).11.17. 福岡
[没]1937.11.15. 葉山
外交官。明治期にアメリカイタリア,フランス,ロシア各国公使を歴任,日露戦争開戦時には,駐露公使として大任を果した。日英同盟に対して日露協商を主唱した親露派として著名である。 1906年駐仏大使となり,日仏条約締結に功があった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「栗野慎一郎」の解説

栗野慎一郎 くりの-しんいちろう

1851-1937 明治時代の外交官。
嘉永(かえい)4年11月17日生まれ。ハーバード大留学後外務省にはいり,取調局長,政務局長などを歴任。明治27年駐米公使となり,通商条約改正交渉にあたる。34年駐ロシア公使。39年初代駐フランス大使に就任し,日仏協約締結につくした。昭和7年枢密顧問官。昭和12年11月15日死去。87歳。筑前(ちくぜん)(福岡県)出身

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367日誕生日大事典 「栗野慎一郎」の解説

栗野 慎一郎 (くりの しんいちろう)

生年月日:1851年11月17日
明治時代の外交官。子爵;枢密顧問官
1937年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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