デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「栗隈王」の解説
栗隈王 くりくまおう
敏達(びだつ)天皇の孫。また曾孫ともいう。天智(てんじ)天皇7年筑紫率(つくしのかみ)となる。壬申(じんしん)の乱(672)で大友皇子の出兵命令を拒否し筑紫をうごかなかったため佐伯男(さえきの-おのこ)におそわれたが,子の三野(みのの)王,武家(たけいえの)王がふせいだ。天武天皇4年兵政官長。天武天皇5年6月死去。「くるくまおう」ともよみ,栗前王ともかく。
(清田善樹)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
…吉備に向かった使者の樟磐手(くすのいわて)は吉備国守が募兵に応じなかったため国守を殺しているが,国守が応じなかったところをみると募兵も順調にすすんだとはみえない。さらに筑紫に向かった使者は筑紫大宰栗隈王が対外防備を理由に募兵に応じなかった。こうして,近江朝廷が企図した全国からの軍勢の動員という計画は大きく狂ってしまった。…
※「栗隈王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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