栗隈王(読み)くりくまおう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「栗隈王」の解説

栗隈王 くりくまおう

?-676 飛鳥(あすか)時代の官吏
敏達(びだつ)天皇の孫。また曾孫ともいう。天智(てんじ)天皇7年筑紫率(つくしのかみ)となる。壬申(じんしん)の乱(672)で大友皇子の出兵命令を拒否し筑紫をうごかなかったため佐伯男(さえきの-おのこ)におそわれたが,子の三野(みのの)王,武家(たけいえの)王がふせいだ。天武天皇4年兵政官長。天武天皇5年6月死去。「くるくまおう」ともよみ,栗前王ともかく。

栗隈王 くるくまおう

くりくまおう

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典 「栗隈王」の解説

栗隈王

没年:天武5.6(676)
生年:生年不詳
7世紀後半に活躍した王族。栗前王とも書く。『新撰姓氏録』によれば,敏達天皇の子難波皇子の子で,奈良時代の政治家橘諸兄の祖父。天智7(668)年7月(10年6月とも),筑紫率(大宰帥前身)に任じられた。壬申の乱(672)に際し,筑紫の国は外敵に備えることが任務であり兵の動員はできないと,近江朝廷方の出兵命令に応じなかった。天武4(675)年3月,兵政官長(兵部卿の前身)になった。

(清田善樹)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の栗隈王の言及

【壬申の乱】より

…吉備に向かった使者の樟磐手(くすのいわて)は吉備国守が募兵に応じなかったため国守を殺しているが,国守が応じなかったところをみると募兵も順調にすすんだとはみえない。さらに筑紫に向かった使者は筑紫大宰栗隈王が対外防備を理由に募兵に応じなかった。こうして,近江朝廷が企図した全国からの軍勢の動員という計画は大きく狂ってしまった。…

※「栗隈王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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