根井村(読み)ねいむら

日本歴史地名大系 「根井村」の解説

根井村
ねいむら

[現在地名]青森市久栗坂くぐりざか

久栗坂村東部をいう。明治初年の「新撰陸奥国誌」に「東の方を根井と云。古くは支村とし、又根井と名を掲けしもあり」とあるように、久栗坂村の支村または久栗坂村のこととして扱われる場合もある。久栗坂村を流れる川は根井川とよばれる。村の成立は根井村のほうが古く、天文年間(一五三二―五五)津軽郡中名字に「根井」とあり、正保二年(一六四五)の津軽知行高之帳の田舎いなか郡の新田に高一二・二五石とある。貞享三年(一六八六)の領内総検地後、根井村を久栗坂村と改称したとする説もあるが(津軽平野開拓史)、その後も根井村は一村として扱われ、久栗坂村の一部となるのは明治初年であろう。

根井村
ねいむら

[現在地名]三沢市三沢 根井

小川原おがわら湖の東岸に位置し、東は太平洋沿岸である。北に山中やまなか谷地頭やちがしら、南に岡三沢おかみさわ・三沢の諸村がある。寛政年間(一七八九―一八〇一)の「邦内郷村志」に百石ももいし(現上北郡百石町)の支村として村名がみえ、家数五とある。享和三年(一八〇三)の仮名付帳では家数七。五戸ごのへ通に属する。藩政期末の「北奥路程記」によれば村南の平地からは「田名部釜臥山・大尽山、野辺地の烏帽子山、七戸の八高田・八幡岳、三戸の名久井、福岡の折爪、八戸種市等山々見え渡り、方角を定むるに能所なり」という。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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