日本歴史地名大系 「根本如法堂」の解説
根本如法堂
こんぽんによほうどう
横川中堂の北方にあり、比叡山の焼打ち以前は如法堂または根本如法堂とよばれた。大正一四年(一九二五)ようやく再興され、如法塔と改称した。「慈覚大師伝」などによれば、円仁は一五歳のとき最澄の門に入り、二〇年余の籠山ののち上野や下野に巡行、再び比叡山に戻るが、四〇歳の頃病弱となり、視力も衰え、死期を予期して、北方横川の清閑の地に草庵を結んだ。これを
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報