根本正(読み)ネモト タダシ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「根本正」の解説

根本 正
ネモト タダシ


肩書
衆院議員(政友会),日本禁酒同盟顧問

生年月日
嘉永4年10月(1851年)

出生地
常陸国五台村(茨城県那珂町)

学歴
バーモント大学(米国)卒

経歴
明治2年上京、人力車の車夫をしながら啓蒙学者・中村正直、米国人宣教師に師事し、キリスト教入信。10年渡米、小、中学校を経て、バーモント大学で学び23年帰国。板垣退助らの勧めで政界入りし、同年安藤太郎と日本禁酒同盟を組織、顧問となる。同時に自由党入り、のち政友会に属し、31年の第5回以来衆院議員当選11回。この間、義務教育の無償化や未成年者飲酒禁止法成立などの功績を残した。

没年月日
昭和8年1月5日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「根本正」の解説

根本 正
ネモト タダシ

明治・大正期の政治家,禁酒運動家 衆院議員(政友会);日本禁酒同盟顧問。



生年
嘉永4年10月(1851年)

没年
昭和8(1933)年1月5日

出生地
常陸国五台村(茨城県那珂町)

学歴〔年〕
バーモント大学(米国)卒

経歴
明治2年上京、人力車の車夫をしながら啓蒙学者・中村正直、米国人宣教師に師事し、キリスト教に入信。10年渡米、小、中学校を経て、バーモント大学で学び23年帰国。板垣退助らの勧めで政界入りし、同年安藤太郎と日本禁酒同盟を組織、顧問となる。同時に自由党入り、のち政友会に属し、31年の第5回以来衆院議員当選11回。この間、義務教育の無償化や未成年者飲酒禁止法成立などの功績を残した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「根本正」の解説

根本正 ねもと-ただし

1851-1933 明治-大正時代の政治家。
嘉永(かえい)4年10月1日生まれ。アメリカのバーモント大を卒業。明治23年安藤太郎と東京禁酒会(のち日本禁酒同盟)を結成。31年衆議院議員(当選10回,政友会)。大正11年の未成年者飲酒禁止法の成立につくす。尋常小学校授業料の撤廃を主張した。昭和8年1月5日死去。83歳。常陸(ひたち)(茨城県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の根本正の言及

【禁酒運動】より

…当初はキリスト教の影響下にあったのでキリスト教布教の手段との誤解があったため,1919年には禁酒運動そのものを追及する国民禁酒同盟が分離独立したが,翌年,日本国民禁酒同盟として両同盟は合同した。当初個々人に禁酒をすすめることを主としていた運動はその後禁酒法制定促進を目標とする運動に重点がおかれるようになり,根本正の25年間の努力によって未成年者禁酒法が成立した(1922)。その後は未成年者禁酒法を飲酒取締法と改称して,年齢を引き上げて25歳未満に適用しようとする25歳禁酒法の制定を追及したが,果たさなかった。…

※「根本正」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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