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梁冀 りょうき Liang Ji; Liang Chi

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

梁冀
りょうき
Liang Ji; Liang Chi

[生]?
[没]延熹2(159).8.10.
中国,後漢の外戚。跋扈 (ばっこ) 将軍と呼ばれた。安定 (甘粛省 涇川県) の人。字は伯卓。梁氏は前漢時代から安定の豪族として活躍。黄門侍郎から累進して河南尹となり,また妹が順帝の皇后となる (132) と,政権を独占し,永和6 (141) 年大将軍となった。

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世界大百科事典 第2版の解説

りょうき【梁冀 Liáng Jì】

?‐159
中国,後漢の外戚で権臣。安定(甘粛省涇川県)の人。字は伯卓。妹が順帝の皇后となるに及んで外戚として権力をふるい,順帝から桓帝にいたる4代およそ20年,大将軍となって政治をほしいままにした。その間幼帝の廃立を行い,一門からは7封侯,3皇后,6貴人(皇妃),2大将軍を出したといわれる。159年(延熹2),桓帝は宦官(かんがん)と共謀して彼と一族を誅滅し,後漢最大の外戚の禍を除いたが,こののち後漢は宦官の専横に苦しむことになった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

梁冀
りょうき
(?―159)

中国、後漢(ごかん)時代の権臣。妹が順帝の皇后になると、父の梁商が大将軍となって国政にあたり、141年梁冀が父にかわって大将軍となった。やがて順帝が死に、わずか2歳の冲(ちゅう)帝がたち、翌年帝が死ぬと、彼は妹の梁太后と謀って章帝の玄孫劉纉(りゅうさん)8歳を帝位につけた(質帝)。しかし帝が彼を跋扈(ばっこ)将軍とよんだというので、帝を毒殺し、章帝の曽孫(そうそん)劉志を帝位につけた(桓(かん)帝)。けれども159年に太后が死ぬと、桓帝は宦官(かんがん)の単超、左(さかん)らと謀って梁冀の邸宅を包囲したので、梁冀は自殺し、一族はみな斬罪(ざんざい)ののち市中に死体を晒(さら)された。しかし梁氏を倒すのに宦官の力を借りたために、こののち宦官が外戚(がいせき)にかわって権勢を振るうことになった。[五井直弘]

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世界大百科事典内の梁冀の言及

【漢】より

…後漢の後半期はこのような外戚と宦官の政争のくりかえしで,皇帝権はいちじるしく衰微した。後漢の外戚としてもっとも強大であったのは梁冀(りようき)である。順帝の皇后の兄として専権し,冲帝,質帝,桓帝の3代にわたり20年ちかく政治を壟断(ろうだん)した。…

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