桓帝(読み)かんてい(英語表記)Huan-di; Huan-ti

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

桓帝
かんてい
Huan-di; Huan-ti

[生]陽嘉1(132)
[没]永康1(167)
中国,後漢第 11代の皇帝 (在位 146~167) 。姓名劉志。外戚の大将軍梁冀 (りょうき) によって帝位についたが,梁冀が専横をきわめたため,のち宦官とはかって梁冀を自殺させた。以後は宦官が専横となり,永康1 (167) 年党錮の獄が起った。

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世界大百科事典 第2版の解説

かんてい【桓帝 Huán dì】

132‐167
中国,後代皇帝劉志。在位146‐167年。15歳で即位した。梁太后が摂政として臨む。妻は梁太后の女弟(いもうと)である。外戚の梁冀が専横を極めたので,宦官の協力を得て梁氏を族誅した。これ以後は宦官が横暴となり,李膺・陳蕃らを領袖とする清廉な党人とはげしく対立し,党錮の禁をおこす。桓帝みずからが浮図(仏陀)と老子を尊崇して旧来の儒教独尊の風潮に新しい気運を開き,また音楽を愛好し,琴瑟をよくした。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

桓帝
かんてい
(132―167)

中国、後漢(ごかん)11代皇帝(在位146~167)。諡(おくりな)は孝桓(こうかん)皇帝。姓名は劉志(りゅうし)。15歳で即位したが、外戚(がいせき)の梁冀(りょうき)が専横を極めており、成人してからも実権を掌握できなかった。梁冀の妹の梁太后および梁后の死後、宦官(かんがん)の助力を得て梁氏を族誅(ぞくちゅう)にした。これ以後は宦官が政治を専断し、宦官とこれに結託する勢力(濁流)と清流党人とが激しく対立し、党錮(とうこ)の禁を起こした。儒教がもっぱら尊崇されていた風潮に対して、桓帝自らは浮図(ふと)(仏教)と老子を尊崇し、また音楽を愛好、琴笙(きんしょう)に巧みであった。[上田早苗]

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