日本歴史地名大系 「梅林村」の解説 梅林村うめばやしむら 福岡県:福岡市城南区梅林村[現在地名]城南区梅林一―五丁目・梅林・干隈(ほしくま)二丁目、早良(さわら)区梅林六―七丁目・梅林・野芥(のけ)一丁目七隈(ななくま)村の南にあり、油(あぶら)山から北へ延びる丘陵麓に位置する。東は片江(かたえ)村、西は野芥村。南東の幸(こう)ヵ谷(たに)に水源をもつ七隈川(新川)が東部を、野芥村境から流れてきた油山(あぶらやま)川(東金屑川・西川)が西部をそれぞれ北へ流れる。小早川時代の指出前之帳によると梅林村は田二六町八反余(分米二五二石余)・畠七町一反余(分大豆二九石余)。慶長六年(一六〇一)梅林村二九七石余など二千石が吉田又介(重成)に宛行われた(「黒田長政知行目録」吉田家文書)。 梅林村うめばやしむら 滋賀県:愛知郡愛東町梅林村[現在地名]愛東町梅林上岸本(かみぎしもと)村の北に位置し、西は中岸本村(現湖東町)。江戸時代は本村の上岸本村、中岸本村・下岸本村(現湖東町)と同様彦根藩領で、元禄郷帳に「上岸本・中岸本・下岸本三ケ村之枝郷」と注記されて村名がみえ、高七二石。文久二年(一八六二)上知。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by