森田節斎(読み)もりたせっさい

精選版 日本国語大辞典 「森田節斎」の意味・読み・例文・類語

もりた‐せっさい【森田節斎】

  1. 江戸後期の儒学者。名は益。字は謙蔵。大和国(奈良県)五条の人。京都に出て猪飼敬所、頼山陽に学び、後江戸の昌平黌にはいって塩谷宕陰らと交わる。程朱学を主として孟子・史記に精通し、文章をもって鳴った。備中国(岡山県)、京都、備後国(広島県)などに塾を開き、尊攘を主張し、門下に勤王家を多く輩出した。晩年は幕府の偵察を避けて剃髪して愚庵と号した。妻の無該女史も詩文をよくした。著「桑梓景賢録」「節斎遺稿」「節斎文稿」など。文化八~明治元年(一八一一‐六八)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「森田節斎」の解説

森田節斎 もりた-せっさい

1811-1868 幕末の儒者。
文化8年生まれ。頼山陽に師事し,昌平黌(しょうへいこう)にまなんで京都,備中(びっちゅう)(岡山県)倉敷などに塾をひらく。梅田雲浜(うんぴん)らとまじわり,門下から尊攘(そんじょう)家がおおくでた。天誅(てんちゅう)組の変のあと紀伊(きい)那賀郡(和歌山県)にかくれ,慶応4年7月26日死去。58歳。大和(奈良県)出身。名は益。字(あざな)は謙蔵。別号に節翁。著作に「節斎翁文稿」など。

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