榊亮三郎(読み)サカキ リョウザブロウ

20世紀日本人名事典 「榊亮三郎」の解説

榊 亮三郎
サカキ リョウザブロウ

明治〜昭和期のサンスクリット学者 京都帝大教授。



生年
明治5年5月11日(1872年)

没年
昭和21(1946)年8月24日

出生地
和歌山県那賀郡

学歴〔年〕
東京帝大文科大学博言学科〔明治28年〕卒,東京帝大大学院梵語専攻修了

学位〔年〕
文学博士

経歴
明治32年三高教授となり、40年京都帝大文科大学助教授、のち同教授に就任。仏教大、大谷大でも教鞭をとる。この間、梵語学研究のため2度にわたって長期渡欧。その帰途インド仏跡を訪ね、仏典の手写梵本を収集・研究、インド古代学の科学的研究の草分け的存在となった。著書に「梵語学」「弘法大師と日本文化」「榊亮三郎論集」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「榊亮三郎」の意味・わかりやすい解説

榊亮三郎
さかきりょうざぶろう
(1872―1946)

明治~昭和期のサンスクリット学者。1895年(明治28)帝国大学文科大学(現、東京大学文学部)言語学科を卒業。三高教授を経て、1907年(明治40)新設の京都帝国大学文科大学文学科に迎えられ、3年間の外遊ののち梵語(ぼんご)学梵文学講座担当教授となって、1932年(昭和7)まで在任した。関西におけるフランス語およびラテン語教育の先達であり、とりわけサンスクリット学習をインド・イラン学視野でとらええた日本最初の先覚者である。また国際的には『梵蔵漢和対校飜訳名義大集(マハーヴィユットパッティ)』の労作により著名である。

[大地原豊 2018年10月19日]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「榊亮三郎」の解説

榊亮三郎 さかき-りょうざぶろう

1872-1946 明治-昭和時代前期の仏教学者。
明治5年4月5日生まれ。西本願寺の文学寮教員,三高教授をへて,京都帝大教授となる。梵語(ぼんご)(サンスクリット)学を専攻。インドで仏典の梵文写本を収集した。昭和21年8月24日死去。75歳。和歌山県出身。帝国大学卒。著作に「梵蔵漢和四訳対校翻訳名義大集」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「榊亮三郎」の意味・わかりやすい解説

榊亮三郎
さかきりょうざぶろう

[生]明治5(1872)
[没]1946
サンスクリット学者,京都大学教授。主著『解説梵語学並ニ語彙』 (1907) 。

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