榎本城跡(読み)えのもとじようあと

日本歴史地名大系 「榎本城跡」の解説

榎本城跡
えのもとじようあと

[現在地名]大平町榎本・真弓

南流する永野ながの川東岸にある中世から近世初頭にかけての平城。小山氏一族の支城であったが、戦国期には皆川氏・佐野氏・小田原北条氏・結城氏らの諸勢力間の合戦場となり、慶長一〇年(一六〇五)に成立する榎本藩の政庁となる。城跡は東西約六一三メートル・南北約三九六メートルの規模で、本丸は東西約九二メートル・南北約一〇〇メートル、その周囲を約一二―一三メートル幅の堀をめぐらし、東に二の丸・三の丸があったとみられる。本丸を中心に北城きたじよう東城西城の地名が残り、また南に大手おおてという地名がある。南西、河岸近くに八坂神社・大中だいちゆう寺があり、その東方に陣屋入口とよばれる所がある。大中寺には榎本城歴代城主の墓碑が建つ。「下野一国」には「榎本町古城 本多大隅守城跡」として、城内東西一三七間・南北一六三間、本丸は東西四一間・南北三七間、二の丸は東西一〇〇間・南北二二間、三の丸は東西一五一間・南北二七間とあり、大手口南向きに六五間にわたる榎本町通があった。現在本丸の遺構はほとんど消滅し、東城と北城に土塁と空堀の一部が残存する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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