槙峰鉱山(読み)まきみねこうざん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「槙峰鉱山」の意味・わかりやすい解説

槙峰鉱山
まきみねこうざん

宮崎県北部、延岡市(のべおかし)北方(きたかた)町地区と西臼杵(にしうすき)郡日之影町(ひのかげちょう)にまたがって所在した銅・硫化鉄鉱山。1657年(明暦3)発見され、江戸時代は延岡の商人が経営したり、延岡藩営鉱山(御手山(おてやま))として採掘されたりした。本格的な採掘は明治以降で、日立(ひたち)、別子(べっし)と肩を並べる日本有数の銅山となった。最初は五ヶ瀬(ごかせ)川支流綱ノ瀬(つなのせ)川東岸の日平鉱山(ひびらこうざん)、西岸の槙峰鉱山に分かれていたが、三菱(みつびし)鉱業の日平鉱山買収によって槙峰鉱山に統一された。1898年(明治31)宮崎県で最初に水力電気が使用された鉱山となった。昭和初期には銅精錬による煙害も生じている。最盛期には従業員1500人以上を数えたが、1967年(昭和42)採掘条件などの悪化のため閉山した。

[横山淳一]

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百科事典マイペディア 「槙峰鉱山」の意味・わかりやすい解説

槙峰鉱山【まきみねこうざん】

宮崎県延岡市・日之影町にまたがってあった銅鉱山。五ヶ瀬川中流綱ノ瀬川との合流点付近にあった。1657年の発見と伝える。稼行と休山を繰り返したが,1864年延岡藩主内藤家の経営となる。1870年鉱区が東部西部に分割され,西部の鉱業権は1889年三菱の手に渡り,槙峰鉱山と改称された。同鉱山は三菱合資会社から三菱鉱業に継承され,1939年日平鉱山と合併。最盛期の1943年には粗銅生産23万tに達し,日本有数の銅山となる。ほかに黄鉄鉱,磁硫鉄鉱なども産出。第2次大戦後は,次第に出鉱量が減少し,1967年閉山。

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世界大百科事典(旧版)内の槙峰鉱山の言及

【北方[町]】より

…近年,人口は減少を続け,過疎化が進むなかで,地場産業の育成や工場の誘致が図られている。西部には江戸時代に開かれた槙峰鉱山(黄銅鉱,黄鉄鉱)があったが,1967年に閉山した。北西部に比叡山(名),綱ノ瀬川上流部に鹿川(ししがわ)渓谷があり,観光地となっている。…

※「槙峰鉱山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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