権現堂跡(読み)ごんげんどうあと

日本歴史地名大系 「権現堂跡」の解説

権現堂跡
ごんげんどうあと

[現在地名]平良市西里

尻間つしまの平良大首里大屋子が波上なみのうえ(現那覇市)熊野権現より勧請したことに始まるという(御嶽由来記)。平良大首里大屋子が琉球に上って帰帆の際、逆風にあって高麗漂流、殺されそうになった平良は涙で琉球の二文字を書いたことから助命となり、朝鮮に五ヵ年、中国に三ヵ年滞在し、進貢御船で琉球に帰ることができた。平良はこの帰国を仏神のおかげとして波上山大権現の分霊を勧請し、宮古島に下って草庵を建て、信仰した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む