権現山(読み)ごんげんやま

日本歴史地名大系 「権現山」の解説

権現山
ごんげんやま

[現在地名]津島町北灘

三浦みうら半島基部にあり、津島町と宇和島市の境界に位置する。通称は嶽山だけさん嶽権現だけのごんげん。標高四八九メートル。山頂は屹立し、海上周辺からは好目標となっている。

嶽権現社があり、かつては権現信仰が盛んで、北灘きたなだ近家ちかいえ下波したば・三浦・遊子ゆす蒋淵こもぶち戸島とじま日振ひぶり(現宇和島市)の八ヵ浦が崇敬し、社殿を造営した。延宝九年(一六八一)の「吉田古記」によると、この権現信仰の由来について「当山初り、昔日貞和二年初冬、自彦山一宮、如雷光忽飛来入梨浦保福寺梗楠、」と記されており、筑前英彦山から伝えられたことがわかる。


権現山
ごんげんやま

絵堂えどうの南にあり、標高五四三メートル。西北に相対する鞍掛くらかけ(三四八・二メートル)との間の谷間を赤間関あかまがせき街道(中道筋)を登ると下の垰しものたおで、垰の周辺には鉱山の跡が多く残り、越えれば長登ながのぼりに至る。

古くはしら山とよばれ、山腹にはかつて白山はくさん神社があり、現在も白山大権現の小祠がある。中世以来の修験霊場の一で、権現勧請の時期や由来は不詳だが、「注進案」は、ある時、里の猟師が飛ぶ鳥の跡を尋ねて社を発見したと記す。神社は貞享年中(一六八四―八八)絵堂村に移された。

権現山には近世、狼煙場一ヵ所と番固屋一軒があった。


権現山
ごんげんやま

八幡西区と八幡東区の境に位置する山。標高六一七・四メートル。近世には市瀬いちのせ村と前田まえだ村・大蔵おおくら(現八幡東区)にまたがっていた。かつては坊住ぼうじゆう山・すぎ山・高見たかみ山ともいい、絶頂を矢筈やはず山と称したともいう(「続風土記附録」など)山名の由来は熊野三所権現を祀る鷹見たかみ神社があることにより(続風土記)、別名の坊住山の名は鷹見神社の宮司坊があったことによる(地理全誌)。近世には異国警備のため、のろし台が設けられ、福岡藩の足軽三名が常勤、また日照続きの際には雨乞の祈念儀礼も行われた(大和家文書)


権現山
ごんげんさん

[現在地名]広田村中野川

村中を流れる中野なかの川沿いの権現山(四四〇メートル)は「小がた石鎚いしづち」とか「西の権現さん」(東の石鎚権現に対する)とよばれ、山伏たちの修行の山として旧暦六月一日の山開きは近郷の参拝客で賑う。高い山ではないが巨大な奇岩が三つ寄り合ってそびえており、中央をおんたけ、右をめん岳、左をとよ岳とよび、中央おん岳頂上に豊峰とよみね神社の祠がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

事典・日本の観光資源 「権現山」の解説

権現山

(山梨県上野原市)
山梨百名山指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

デジタル大辞泉プラス 「権現山」の解説

権現山

山梨県上野原市にある山。標高1312メートル。田中澄江の「新・花の百名山」に選定されている。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

世界大百科事典(旧版)内の権現山の言及

【能郷白山】より

…標高1617m。権現山ともいう。両白(りようはく)山地南部にあたる越美(えつみ)山地の主峰で,濃尾平野からも遠望できる。…

※「権現山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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