権現山
ごんげんやま
絵堂の南にあり、標高五四三メートル。西北に相対する鞍掛山(三四八・二メートル)との間の谷間を赤間関街道(中道筋)を登ると下の垰で、垰の周辺には鉱山の跡が多く残り、越えれば長登に至る。
古くは白山とよばれ、山腹にはかつて白山神社があり、現在も白山大権現の小祠がある。中世以来の修験霊場の一で、権現勧請の時期や由来は不詳だが、「注進案」は、ある時、里の猟師が飛ぶ鳥の跡を尋ねて社を発見したと記す。神社は貞享年中(一六八四―八八)絵堂村に移された。
権現山には近世、狼煙場一ヵ所と番固屋一軒があった。
権現山
ごんげんやま
八幡西区と八幡東区の境に位置する山。標高六一七・四メートル。近世には市瀬村と前田村・大蔵村(現八幡東区)にまたがっていた。かつては坊住山・杉山・高見山ともいい、絶頂を矢筈山と称したともいう(「続風土記附録」など)。山名の由来は熊野三所権現を祀る鷹見神社があることにより(続風土記)、別名の坊住山の名は鷹見神社の宮司坊があったことによる(地理全誌)。近世には異国警備のため、のろし台が設けられ、福岡藩の足軽三名が常勤、また日照続きの際には雨乞の祈念儀礼も行われた(大和家文書)。
権現山
ごんげんさん
[現在地名]広田村中野川
村中を流れる中野川沿いの権現山(四四〇メートル)は「小がた石鎚」とか「西の権現さん」(東の石鎚権現に対する)とよばれ、山伏たちの修行の山として旧暦六月一日の山開きは近郷の参拝客で賑う。高い山ではないが巨大な奇岩が三つ寄り合ってそびえており、中央をおん岳、右をめん岳、左を豊岳とよび、中央おん岳頂上に豊峰神社の祠がある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
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権現山
山梨県上野原市にある山。標高1312メートル。田中澄江の「新・花の百名山」に選定されている。
出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報
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世界大百科事典(旧版)内の権現山の言及
【能郷白山】より
…標高1617m。権現山ともいう。[両白(りようはく)山地]南部にあたる越美(えつみ)山地の主峰で,濃尾平野からも遠望できる。…
※「権現山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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