日本歴史地名大系 「権現寺」の解説 権現寺ごんげんじ 京都市:下京区朱雀村権現寺[現在地名]下京区朱雀裏畑町七条通の南、南北に通る七本松(しちほんまつ)通に西面して位置する。清光山と号し、浄土宗。本尊阿弥陀如来。祇陀林(ぎだりん)寺とも称した。「堀河の水」に「いにしへは歓喜寺(くわんぎじ)と号し、或は広幡院(くわうはんいん)といふ。そのかみ広幡中納言庶明公の遺跡にして、左大臣顕光の家也」と記す。「山州名跡志」に「其ノ地今在ル処ノ東洛外封疆ノ東、旧跡ニ古木アリ、歓喜寺ノ森ト号ス、其乾二十間許ニ塚アリ」とみえ、八条(はちじよう)村(現京都市南区・下京区)辺りにあったという。 権現寺ごんげんじ 和歌山県:那賀郡打田町新村権現寺[現在地名]打田町池田新池田新(いけだしん)集落北端の山麓にある。三熊山陽滝院と号し、真言宗御室派。本尊不動明王。寛永九年(一六三二)の紀州那賀郡池田庄権現寺略記(寺蔵)によれば、仁寿年間(八五一―八五四)の開基、熊野権現を祀るという。その後廃寺となったが、天正年間(一五七三―九二)盛意が再興し、護摩堂を建立、不動明王を祀った。天正一三年の兵火で焼失したが、このとき熊野権現は自ら閼伽井中に入り難を逃れたという。文禄二年(一五九三)盛応がこの権現を感得し持仏堂に祀り、寺号を権現寺とした。「続風土記」によれば、元来当寺は熊野三所権現の別当寺であったが、天正一三年以降の再建以後熊野権現は境内の鎮守社のようになったとある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by