日本歴史地名大系 「横平村」の解説 横平村よこひらむら 大分県:竹田市横平村[現在地名]竹田市神原(こうばる)大野川支流の十角(とすみ)川の源流地帯にあり、東は倉木(くらき)村。正保郷帳では倉木郷に属し、田方三石余・畑方六二石余で、茅山有と注記される。元禄郷帳・天保郷帳も横平村として同高だが、旧高旧領取調帳には横平村の名がなく、代わってそれまでの郷帳にはみえなかった神原村があり、高一七八石余。「豊後国志」に「神原(かうばる)旧曰横平」とあるので、村名が変わったと思われる。しかし弘化物成帳では太田組のうちに横平村、神原組のうちに神原村があり、横平村は村位は下、免五ツ六分、田二石余(二反余)・畑四七石余(一〇町七反余)・屋敷一石余(一反余)で、開田はなく、開畑六石余(一〇町九反余)がある。 横平村よこひらむら 富山県:婦負郡八尾町横平村[現在地名]八尾町横平専沢(せんのざわ)村の南東にあり、袖(そで)山の北西麓にあたる。村内を飛州二ッ屋村(ひしゆうふたつやむら)道が通る。地名としては正保四年(一六四七)の代官の非政につき訴状(若林家文書)に「横平山」とみえ、この山で槐の木を伐り採って富山に売出していた。元禄一一年(一六九八)の郷村高辻帳では栗須(くりす)村の川を隔てて一三町ほど東にある枝村新田としてみえ、高一〇石余。 横平村よこひらむら 大分県:大野郡緒方町横平村[現在地名]緒方町中野(なかの) 横平徳田(とくだ)村の南西、烏(からす)岳北麓にある。「豊後国志」に村名がみえる。旧高旧領取調帳では高九六石余。安永七年(一七七八)には太田組に属した(大庄屋・小庄屋・横目一覧「農民一揆」所収)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by