横田穣(読み)ヨコタ ミノル

20世紀日本人名事典 「横田穣」の解説

横田 穣
ヨコタ ミノル

明治〜昭和期の植林日出生台陸軍演習場主管



生年
慶応1年4月11日(1865年)

没年
昭和25(1950)年5月6日

出生地
阿波国川島(徳島県川島町)

学歴〔年〕
陸軍砲兵工学校卒

経歴
はじめ小学校教員をしながら画家を志し、日本画家の川端玉章に師事した。のち陸軍教導団に入り砲兵として日清戦争に従軍。明治32年に陸軍砲兵工学校に入り、日露戦争の旅順攻略戦では砲台据え付けの任に当たった。40年砲兵少佐で予備役に編入。43年かつての上官の推薦で大分県日出生台陸軍演習場の主管に就任し、部隊や地域住民の防災・水資源確保に供するべく植林事業を開始。25年に及ぶ在任期間中に約1500ヘクタール・450万本の植林を行った。また、地域住民とともに日出生台奨励会を結成し、農事改良・防災・生活改善を指導した。昭和10年に退官し、別府移住

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「横田穣」の解説

横田穣 よこた-みのる

1865-1950 明治-昭和時代前期の植林家。
慶応元年4月11日生まれ。陸軍少佐で退役後,明治43年大分県の日出生台(ひじうだい)陸軍演習場主管となる。溶岩台地での水資源確保のために緑化を説き,昭和10年の退官までに1500haに450万本の植林をおこなった。昭和25年5月6日死去。85歳。阿波(あわ)(徳島県)出身。陸軍砲工学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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