横須賀造船所(読み)よこすかぞうせんじょ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「横須賀造船所」の意味・わかりやすい解説

横須賀造船所
よこすかぞうせんじょ

横須賀海軍工廠(こうしょう)の前身。1865年(慶応1)フランスの援助のもとで、艦船修理と技術伝習のための横浜製鉄所を完成させた幕府は、同年8月に横須賀製鉄所の建設に着手、F・L・ベルニーの指導で、埋立て、開削、工場建設、船渠(せんきょ)建設に努め、1866年10月開業した。維新後は明治政府に接収され、神奈川県、大蔵省、民部省、工部省と幾たびか所管替えが行われたが、1871年(明治4)4月には横須賀造船所改称された。翌1872年2月、兵部省における陸・海軍両省分割により海軍省の所管に移り、最初の軍工廠の誕生となった。ベルニー(創立以来1875年まで首長とよばれた)をはじめ、フランス人技術者の応援を受けて1876年には最初の軍艦清輝(せいき)(897トン)が竣工(しゅんこう)、1880年には二等砲艦磐城(いわき)(木造汽帆船、656トン)が日本人の設計で竣工した。1884年12月横須賀鎮守府の管下に置かれ、1903年(明治36)11月横須賀海軍工廠に改組された。

[加藤幸三郎 2018年9月19日]


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山川 日本史小辞典 改訂新版 「横須賀造船所」の解説

横須賀造船所
よこすかぞうせんじょ

江戸幕府の横須賀製鉄所の後身で,横須賀海軍工廠の前身。明治政府は幕府の建設した横須賀製鉄所を接収して1871年(明治4)横須賀造船所と改称,翌年工部省から海軍省に移管し,主船寮に属した。この造船所で軍艦清輝・迅鯨・天城・磐城・葛城武蔵愛宕高雄がつぎつぎに建造された。84年横須賀鎮守府管下に入り,1903年横須賀海軍工廠に発展した。

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旺文社日本史事典 三訂版 「横須賀造船所」の解説

横須賀造船所
よこすかぞうせんじょ

明治政府の官営軍需工場
旧幕府の横須賀製鉄所を明治政府が没収し,1871年横須賀造船所と改称。翌'72年海軍省所管となり,'78年フランス式よりイギリス式建艦方式にきりかえ,1903年横須賀海軍工廠と改称,日本の艦船建造の中心となった。

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百科事典マイペディア 「横須賀造船所」の意味・わかりやすい解説

横須賀造船所【よこすかぞうせんじょ】

江戸幕府がフランス人技師ウェルニーを招いて1865年着工した横須賀製鉄所を,1868年明治政府が接収,1871年完成,改称した造船所。規模・技術とも当時最高の総合造船工場で,のち海軍の所管に入り艦艇を建造,横須賀海軍工廠(こうしょう)となった。

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