橘旭宗(読み)たちばなきょくそう[いっせい]

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「橘旭宗」の意味・わかりやすい解説

橘旭宗(1世)
たちばなきょくそう[いっせい]

[生]1892.6.5. 福岡
[没]1967.3.6. 東京
筑前琵琶演奏家,作曲家。日本橘会の宗家。初名吉村六郎。本名橘知定。橘流宗家 1世橘旭翁養子となり,幼少より筑前琵琶を学ぶ。1世創案の五弦琵琶を 2世橘旭翁とともに完成させたり,また弾法を統一して譜本に著すなどして筑前琵琶の基盤を築くのに貢献した。特に弾法に秀でていた。1世旭翁没後,1920年旭会から分離し,日本橘会を樹立した。時代の流れにそい歌謡曲風の新曲をつくって普及をはかろうとする 3世橘旭翁と折り合わず,いわば古格を守りつつ新しい節を織り込んだ曲づくりをした。『安宅』(佐藤菊南作詞),『舟弁慶』(葛生桂雨作詞),『茨木』(大坪草二郎作詞)などの作品がある。1967年没後に橘宗樹が 2世旭宗を襲名門下より山元旭錦,1995年琵琶楽界で初めて重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された山崎旭萃が出た。

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「橘旭宗」の解説

橘 旭宗(初代)
タチバナ キョクソウ


職業
筑前琵琶奏者 日本橘会の宗家

別名
初名=吉村 六郎,前名=橘 知定

生年月日
明治25年 6月5日

出生地
福岡県

経歴
生後まもなく橘旭翁の養子となる。明治34年知定と改める。大正9年日本橘会を樹立し宗家となる。五弦琵琶の創始や弾法の統一など流儀の基盤固めに尽力した。

没年月日
昭和42年 3月6日 (1967年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

世界大百科事典(旧版)内の橘旭宗の言及

【橘旭翁】より

…初世の実子。妹婿の橘旭宗(本名知定)とともに創作,演奏に活躍して筑前琵琶をますます世に広めた。この2人は近代的な5絃の琵琶も考案したが,旭宗は橘会を結成して分離した。…

※「橘旭宗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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