コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

橘旭翁 たちばなきょくおう

2件 の用語解説(橘旭翁の意味・用語解説を検索)

世界大百科事典 第2版の解説

たちばなきょくおう【橘旭翁】

筑前琵琶橘流の宗家,旭会(あさひかい)会長。(1)初世(1848‐1919∥嘉永1‐大正8) 旭翁の名は1911年より。本名智定(ちじよう)。博多の盲僧として荒神(こうじん)琵琶に携わっていた。40歳代で鹿児島を半年間訪れて,あこがれ薩摩琵琶を習い,帰郷後楽器の改作,新様式の作品創作,楽譜作成を試みた。この音楽的革新の骨子は,宗教性からの脱却,三味線音楽への接近であったので,結果として優雅にうたう旋律の型がつくられた。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

橘旭翁
たちばなきょくおう

筑前(ちくぜん)琵琶(びわ)の演奏家。[シルヴァン・ギニアール]

初世

(1848―1919)筑前琵琶の創始者。本名智定(ちじょう)。博多(はかた)の盲僧(もうそう)琵琶の家に生まれ、13歳から撥(ばち)を握る。42歳のとき薩摩(さつま)琵琶研究のため鹿児島に半年間滞在、帰郷後、盲僧琵琶の楽器・奏法・歌詞を改良した。琵琶楽の全国的流行に伴い、1898年(明治31)上京、宮家などの御前演奏で名をあげた。1901年(明治34)旭翁と改め、筑前琵琶橘流の名称を用い、門弟には「旭」の字を冠した号を与えた。10年には娘婿の旭宗(きょくそう)、2世旭翁とともに五弦琵琶を創案。『石童丸(いしどうまる)』『扇(おうぎ)の的(まと)』『湖水渡(こすいわたり)』など多くの作曲を残す。[シルヴァン・ギニアール]

2世

(1874―1945)本名一定。初世の実子。父の没後2世を継ぎ、『高松城』『安宅(あたか)の関』など多数を作曲。[シルヴァン・ギニアール]

3世

(1902―71)本名定友。2世の実子。父の引退(1940)とともに3世を襲名。第二次世界大戦後の琵琶楽の衰退を憂え、歌謡曲風新作や合奏曲などで普及に努めた。そのため、古風を守る旭宗(1967没)とあわず、橘流は3世を宗家とする旭(あさひ)会と、旭宗を宗家とする橘会の二派に分裂した。[シルヴァン・ギニアール]

4世

(1938― )本名定利。3世の実子。1972年(昭和47)3月4世を襲名。[シルヴァン・ギニアール]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の橘旭翁の言及

【琵琶】より

…さらに新しく錦心流の中から水藤錦穣(すいとうきんじよう)が錦(にしき)琵琶を,鶴田錦史(1911‐95)が鶴田派の新様式をつくり出した。(4)筑前琵琶 琵琶歌のもう一つの系統筑前琵琶はもと筑前盲僧の橘旭翁らにより薩摩琵琶や三味線音楽にならって明治期に確立され,女性的な優雅さをたたえた音楽として全国的に流行した。とくに石村涼月高峰筑風らの独特の味わいが人気を呼んだ。…

※「橘旭翁」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

橘旭翁の関連キーワード筑前琵琶山崎旭萃五弦琵琶筑紫琵琶琵琶歌アサヒカクテルパートナーあさひかわアサヒ極旨

今日のキーワード

大寒

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

続きを読む

コトバンク for iPhone