増村保造(読み)マスムラヤスゾウ

デジタル大辞泉 「増村保造」の意味・読み・例文・類語

ますむら‐やすぞう〔‐やすザウ〕【増村保造】

[1924~1986]映画監督山梨の生まれ。昭和27年(1952)ローマ映画実験センター留学。帰国後「くちづけ」で監督デビュー。代表作偽大学生」「刺青」「曽根崎心中」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「増村保造」の意味・わかりやすい解説

増村保造
ますむらやすぞう
(1924―1986)

映画監督。山梨県甲府市に生まれる。1947年(昭和22)東京大学法学部、1951年同文学部卒業。この間1947年大映入社、1952年ローマの映画実験センターへ留学。帰国後『くちづけ』(1957)でデビュー、溌剌(はつらつ)とした作風で一躍注目を浴びる。独自の日本映画批判の実践でもあるその知的な作風は、製菓会社の販売合戦を扱った『巨人玩具(がんぐ)』(1958)でも貫かれている。その後『華岡青洲(はなおかせいしゅう)の妻』(1967)など多作を強いられるが、一貫して批評精神を堅持、『偽大学生』(1960)、『刺青(いれずみ)』(1966)などの快作を発表。のちに自らの集大成として、意志的行為としての心中を猛烈に描ききった『曽根崎(そねざき)心中』(1978)を成功させた。

[佐伯知紀]

資料 監督作品一覧

くちづけ(1957)
青空娘(1957)
暖流(1957)
氷壁(1958)
巨人と玩具(1958)
不敵な男(1958)
親不幸通り(1958)
最高殊勲夫人(1959)
氾濫(はんらん)(1959)
美貌(びぼう)に罪あり(1959)
闇を横切れ(1959)
女経 第一話 耳を噛(か)みたがる女[市川崑吉村公三郎とのオムニバス](1960)
からっ風野郎(1960)
足にさわった女(1960)
偽大学生(1960)
恋にいのちを(1961)
好色一代男(1961)
妻は告白する(1961)
うるさい妹たち(1961)
爛(らん)(1962)
黒の試走車(1962)
女の一生(1962)
黒の報告書(1963)
嘘~第一話「プレイガール」[吉村公三郎、衣笠貞之助とのオムニバス](1963)
ぐれん隊純情派(1963)
現代インチキ物語 騙(だま)し屋(1964)
「女の小箱」より 夫が見た(1964)
卍(1964)
黒の超特急(1964)
兵隊やくざ(1965)
清作の妻(1965)
刺青(1966)
陸軍中野学校(1966)
赤い天使(1966)
妻二人(1967)
痴人の愛(1967)
華岡青洲の妻(1967)
大悪党(1968)
セックス・チェック 第二の性(1968)
積木の箱(1968)
濡れた二人(1968)
盲獣(1969)
千羽鶴(1969)
女体(1969)
でんきくらげ(1970)
やくざ絶唱(1970)
しびれくらげ(1970)
遊び(1971)
新兵隊やくざ 火線(1972)
音楽(1972)
御用牙 かみそり半蔵地獄責め(1973)
悪名 縄張荒らし(1974)
動脈列島(1975)
大地の子守唄(1976)
曽根崎心中(1978)
エデンの園(1980)
この子の七つのお祝に(1982)

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20世紀日本人名事典 「増村保造」の解説

増村 保造
マスムラ ヤスゾウ

昭和期の映画監督



生年
大正13(1924)年8月25日

没年
昭和61(1986)年11月23日

出生地
山梨県甲府市錦町

学歴〔年〕
東京大学法学部〔昭和22年〕卒,東京大学文学部哲学科〔昭和26年〕卒

主な受賞名〔年〕
アジア映画祭監督賞(第9回)〔昭和37年〕「妻は告白する」

経歴
昭和22年大映に入社し、助監督を務める。傍ら東大文学部に再入学。27年イタリアに留学。帰国後、溝口健二、市川崑の助監督を経て、32年監督となり、「くちづけ」でデビュー、ニューウェーブの新鋭と脚光を浴びる。主な作品に「巨人と玩具」「足にさわった女」「黒の試走車」「兵隊やくざ」「陸軍中野学校」「痴人の愛」「華岡青洲の妻」「音楽」などがあり、特に「清作の妻」「妻は告白する」「夫が見た」などで若尾文子を女優開眼させた功績が大きいといわれる。46年大映倒産後はフリー。53年の「曽根崎心中」(ATG)で高い評価を得る。

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百科事典マイペディア 「増村保造」の意味・わかりやすい解説

増村保造【ますむらやすぞう】

映画監督。甲府市生れ。東大法学部卒。1948年大映に入社。助監督を務めながら東大哲学科に再入学し,1951年卒業。翌年,奨学金を得てローマの映画実験センターに留学。1957年《くちづけ》で監督となり,開高健原作の《巨人と玩具》(1958年)で登場人物の自己主張をスピーディな演出で描いて,新感覚の映画監督として注目された。代表作に《妻は告白する》(1961年),産業スパイを描いた梶山季之原作の《黒の試走車》(1962年),勝新太郎主演の《兵隊やくざ》(1965年),市川雷蔵主演の《陸軍中野学校》(1966年),たくましく生きる女性像を描いた風俗映画《でんきくらげ》(1970年),近松門左衛門原作の《曾根崎心中》(1978年)などがある。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「増村保造」の意味・わかりやすい解説

増村保造
ますむらやすぞう

[生]1924.8.25. 甲府
[没]1986.11.23. 東京
映画監督。東京大学法学部卒業。 1947年東映に入社。 52年から2年間ローマの映画実験センターで学ぶ。青春映画『くちづけ』 (1957) でデビューし,風刺映画『巨人と玩具』 (58) で戦後派監督の先頭に立つ。代表作に『黒の試走車』 (62) ,『兵隊やくざ』 (65) ,『陸軍中野学校』 (66) ,『曾根崎心中』 (78) など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「増村保造」の解説

増村保造 ますむら-やすぞう

1924-1986 昭和時代後期の映画監督。
大正13年8月25日生まれ。昭和22年大映に入社。27年ローマの映画実験センターに留学。溝口健二,市川崑(こん)の助監督をつとめ,32年「くちづけ」が監督第1作。作品に「巨人と玩具」「華岡青洲の妻」「曾根崎心中」など。昭和61年11月23日死去。62歳。山梨県出身。東大卒。

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367日誕生日大事典 「増村保造」の解説

増村 保造 (ますむら やすぞう)

生年月日:1924年8月25日
昭和時代の映画監督
1986年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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