筑前琵琶(読み)ちくぜんびわ

精選版 日本国語大辞典 「筑前琵琶」の意味・読み・例文・類語

ちくぜん‐びわ ‥ビハ【筑前琵琶】

〘名〙 琵琶の一種。また、その歌曲薩摩琵琶よりやや小形。棹(さお)は比較的長く、四弦または五弦を張り、五柱を設けて撥(ばち)で演奏する。音調が高く、音階も多いのが特徴筑前博多(福岡市)の人、橘智定(初世旭翁)が薩摩琵琶と三味線楽とを融合して創始。明治三一年(一八九八)筑前琵琶と命名されたが、繊弱巧緻、また華麗であったため、婦女子の間にも流行した。筑紫琵琶
※東京年中行事(1911)〈若月紫蘭〉四月暦「鳥居何某と云ふ女琵琶師の『吉田松陰』の曲の筑前琵琶(チクゼンビワ)弾奏が有った」

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デジタル大辞泉 「筑前琵琶」の意味・読み・例文・類語

ちくぜん‐びわ〔‐ビハ〕【×筑前××琶】

明治20年代、博多で橘智定たちばなちじょう鶴崎賢定つるさきけんじょう吉田竹子が創始した琵琶楽、およびそれに用いる楽器筑前盲僧琵琶もとに、薩摩さつま琵琶三味線音楽を参考に作られた。楽器は薩摩琵琶よりやや小さく、4弦または5弦を張り五柱じゅうを設けてばちで奏する。今日、橘智定(旭翁きょくおう)の系統が栄えている。筑紫琵琶。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「筑前琵琶」の意味・わかりやすい解説

筑前琵琶
ちくぜんびわ

琵琶楽の1種目、およびそれに用いる楽器の名称。薩摩(さつま)琵琶とともに琵琶楽の二大流派をなす。

 明治維新後、盲僧(もうそう)制度が廃止され、北九州を中心とした盲僧琵琶は衰微したが、その伝統を基に明治20年代、若い3人の音楽家が新琵琶楽を創始した。そのなかの橘智定(たちばなちじょう)(初世橘旭翁(きょくおう))と鶴崎賢定(つるさきけんじょう)は晴眼者であったが、筑前盲僧琵琶の家系を継ぐ者で、とくに前者は一時鹿児島で薩摩琵琶を学び、盲僧琵琶の楽器改良などを行っている。もう1人の吉田竹子は芸妓(げいぎ)の出身で、三味線の知識をもって新様式樹立に寄与した。1893年(明治26)吉田竹子作曲の『谷村計介(たにむらけいすけ)』が、公表された最初の作品といわれている。当時は東京を中心に薩摩琵琶が全国に流行しつつあったが、橘は自ら旭翁と名のり、吉田とともに上京し新琵琶楽の普及に努めた。その結果、旭翁の橘流が薩摩琵琶と人気を二分するに至り、それと区別して筑前琵琶と称されるようになった。以後、橘流は全国的に広まり、とくに2世旭翁は優れた作曲家であったため、大正期にはますます発展した。また、初世・2世は、初世の娘婿旭宗(きょくそう)とともに、器楽の効果をあげる目的で、本来の四弦琵琶に一弦を加え、筑前琵琶の様式を豊かにしている。3世旭翁は伯父旭宗と音楽理念を異にし、ここで橘流は旭(あさひ)会と橘会に分派する。一方、吉田竹子の門からは高峰筑風(ちくふう)が出て一時名声を博したが、後継者がなく衰えた。

 楽器は薩摩琵琶よりやや小さく、四弦のものは全長約83センチメートル、五弦のものは約87センチメートルである。四弦、五弦とも柱(じゅう)は5個。四弦は斜めに、五弦は立てて構え、薄いツゲ製の撥(ばち)で弾奏する。両方とも腹板が特別処理の桐(きり)製のため音が非常に柔らかく、この音質によって、薩摩琵琶の男性的な性格に対し、筑前琵琶は女性的といわれる。歌詞は七五調を基本とするが、歌唱の切れ目だけでなく歌いながら弾奏する部分がある点が特徴的である。『湖水渡(こすいわたり)』『扇(おうぎ)の的(まと)』『壇(だん)の浦』『小督(こごう)』『衣川(ころもがわ)』などの作品が有名である。

[シルヴァン・ギニアール]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「筑前琵琶」の意味・わかりやすい解説

筑前琵琶
ちくぜんびわ

楽器名およびその音楽。明治中期,筑前盲僧出身の橘智定 (1世橘旭翁 ) が零落の一途にあった筑前盲僧の琵琶楽の衰微を憂慮し,薩摩琵琶を研究して盲僧琵琶改良を試み,さらに門下の吉田竹子が鶴崎賢定とともに三味線の手法を加味するなどして新しい琵琶楽を完成した。これを総称して筑前琵琶という。この3人はそれぞれ一流派をなしたが,今日橘流だけが普及し,旭翁を家元とする旭会と旭宗の橘会とがある。楽器としての筑前琵琶は一時筑紫琵琶と呼ばれたが,1891年頃筑前琵琶と改称された。初めはもっぱら4弦の小形のものが使われていたが,のちにやや大きい5弦が考案され,このほうがおもに用いられるようになった。5 (じゅう) 。撥 (ばち) は三味線の撥に似た大きさで,薩摩琵琶のようにきびしく腹板をたたくようなことはない。左指は柱と柱の間を押える。曲には地 (語る部分。琵琶は簡単な手を各句の区切りに入れるだけ) と節 (おもに琵琶の伴奏で歌う部分) の部分がある。流しのような優美な旋律に特色があり,句間に奏する琵琶の手 (旋律型) も非常に豊富である。古典的題材の曲がおもであるが,4弦には優雅な曲想のもの,5弦では勇壮闊達な曲想の傾向がある。一方ほかの楽器との合奏など新しい試みもなされている。

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百科事典マイペディア 「筑前琵琶」の意味・わかりやすい解説

筑前琵琶【ちくぜんびわ】

琵琶楽の一流派。筑前地方に伝承されてきた盲僧琵琶に,薩摩琵琶や三味線音楽の要素を取り入れ,明治中ごろ成立したもの。華麗な音楽性が喜ばれ,流行した。楽器は4弦が基本で,5弦のものも使われる。

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世界大百科事典(旧版)内の筑前琵琶の言及

【橘旭翁】より

…筑前琵琶橘流の宗家,旭会(あさひかい)会長。(1)初世(1848‐1919∥嘉永1‐大正8) 旭翁の名は1911年より。…

【日本音楽】より

…箏曲界に次いで洋楽の影響を多く受けたのは長唄である。なお,この期の邦楽界に新しく加わったものとしては,薩摩琵琶,筑前琵琶,都山流(とざんりゆう)尺八,浪花節(なにわぶし)などがあげられる。薩摩琵琶は仏教寺院の法要琵琶であった盲僧琵琶をもとに室町末期から武家の教養音楽として薩摩藩に発達したものであるが,明治維新による薩摩出身者の東京進出により,郷土芸能であった薩摩琵琶も東京に紹介され,全国的な芸能になった。…

【琵琶】より

…(3)薩摩琵琶 このように盲僧琵琶はすでに世俗化の傾向を示したが,別の世俗的な琵琶楽を近世に生み出すきっかけをも提供した。それは16世紀後半に始まった薩摩琵琶と19世紀末からの筑前琵琶を代表とするいわゆる〈琵琶歌〉である。薩摩琵琶が始まった動機は,薩摩藩の島津忠良(ただよし)が武士の士気を鼓舞する目的で盲僧の楽器を借用して教訓歌を歌わせたことであったと伝えられている。…

【盲僧】より

…外来楽器の琵琶を奏する盲僧は,すでに奈良時代には存在したと思われるが,中世初頭に《平家物語》を語る平曲を表芸とする一団が活躍して地神経や荒神経を読んで地神や竈神(かまどがみ)をまつる盲僧から分離した。筑前琵琶の源流をなす筑前盲僧は,唐から直接日本に伝来した直系を称し,薩摩琵琶は鎌倉時代初期に島津氏に従って薩摩に下った盲僧の系譜を伝える。かつて地鎮祭(じちんさい)や荒神祓,土用経(どようきよう)にまわった盲僧の姿は,九州一帯や長門,石見,大和などでも見られたが,現在では国東(くにさき)半島や北九州市,対馬の一部に残るにすぎない。…

※「筑前琵琶」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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