檜尾村(読み)ひのおむら

日本歴史地名大系 「檜尾村」の解説

檜尾村
ひのおむら

[現在地名]堺市檜尾・赤坂台あかさかだい一―六丁・桃山台ももやまだい二―三丁・原山台はらやまだい一―三丁・鴨谷台かもたにだい一―三丁・城山台しろやまだい二丁・同五丁・新檜尾台しんひのおだい一―四丁・庭代台にわしろだい二―三丁

大森おおもり村の南にある。「ひの」ともいう。村の中央東寄りを和田わだ川が北流、東部西部は丘陵地で占められる。大鳥郡に属する。「行基年譜」所引の「天平十三年記」に「檜尾池 在(大鳥)和田」とみえ、檜尾池は行基の築造とする。また同年譜の行基五九歳の項に「檜池院」の名がみえるが、同院は檜尾池を管理するために建立された寺か。永仁二年(一二九四)一一月七日の沙弥性蓮処分状(和田文書)によると「檜尾里」の田畑が性蓮の庶子四人に譲られている。


檜尾村
ひのきおむら

[現在地名]温泉町桧尾ひのきお

伊角いすみ村の南にある。熊谷くまだに川の最上流域の山間を占め、東は峠を境に七美しつみ味取みどり(現村岡町)、西は山を境に歌長うたおさ村。弘治三年(一五五七)の「但馬国にしかた日記」には「ひのきを村」とみえ、当地には西村殿などが住していた。江戸時代の領主変遷歌長村に同じ。郡中惣高(福井家文書)では太閤検地高とみられる古高二六石余。元和三年(一六一七)の宮城豊盛領二方郡高帳でも高は同じで、小物成の山手米六斗七升余、桑手の綿一一四匁が課せられていた。寛永一六年(一六三九)の知高帳では高七九石余。正保(一六四四―四八)頃成立の国絵図では村高は前出の古高に復している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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