歌沢笹丸(読み)うたざわささまる

精選版 日本国語大辞典 「歌沢笹丸」の意味・読み・例文・類語

うたざわ‐ささまる【歌沢笹丸】

  1. うたざわやまとのだいじょう(歌沢大和大掾)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「歌沢笹丸」の意味・わかりやすい解説

歌沢笹丸
うたざわささまる

[生]寛政9 (1797). 江戸
[没]安政4 (1857).9.4. 江戸
うた沢の創始者。本名笹本彦太郎。500石の旗本笹本忠良の長男。文政2(1819)年家督を相続し,小普請御書院詰めとなる。天保11(1840)年隠居して笹丸と号し,江戸市中に流行した端唄の同好者である町人や職人を集めて歌沢連と称した。端唄に品格ある一中節を加味して,端唄より上品で重厚な味わいの芸風とした。安政4(1857)年6月嵯峨御所(浅草聖天町出張所)に願い出て,歌沢大和大掾源忠金を受領した。同 4年7月畳屋の平田虎右衛門(のちの歌沢相模)に 2代目家元を継がせたが,笹丸没後,芸風を異にする御家人柴田金吉(のちの哥沢芝金)が虎右衛門と対立し,嵯峨御所より認可を受け哥沢土佐太夫藤原正直を名のり芝派初代家元となった。対する寅派の開祖虎右衛門は笹丸を 1世,みずからを 2世歌沢の家元とした。

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朝日日本歴史人物事典 「歌沢笹丸」の解説

歌沢笹丸

没年:安政4.9.4(1857.10.21)
生年:寛政9(1797)
幕末の歌沢初代家元。江戸本所南割下水に住む旗本笹本忠良の長男で,名は彦太郎通称は金十郎。早くから浄瑠璃に趣味を持ち,また長唄を松永鉄五郎に習い,端唄を作ったりもした。そうした音曲指向は,武士奢侈や軟弱化をきらう幕府忌諱に触れたという。隠居後は笹丸と号して端唄に傾倒したが,自分ではいっさい歌わず,平虎(のち歌沢虎右衛門)や芝金(のち初代哥沢芝金)らを自宅に集めて楽しんだ。やがて同好グループ「歌沢連」を結成し,端唄界の一大勢力となる。そして嘉永6(1853)年歌沢の一派を立て,安政4年6月に歌沢大和大掾となった。

(倉田喜弘)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「歌沢笹丸」の解説

歌沢笹丸 うたざわ-ささまる

1797-1857 江戸時代後期のうた沢節演奏家。
寛政9年生まれ。旗本の長男。端唄(はうた)にしたしみ,隠居後,初代歌沢相模(さがみ),初代哥沢芝金(うたざわ-しばきん)らと歌沢節をはじめ,嘉永(かえい)6年歌沢初代家元となる。安政4年大和大掾(だいじょう)を受領,同年9月4日死去。61歳。本名は笹本彦太郎。

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世界大百科事典(旧版)内の歌沢笹丸の言及

【うた沢∥哥沢∥歌沢】より

…邦楽の種目。うた沢節の略。1857年(安政4)江戸に起こった三味線小歌曲で,端唄に源を発している。芝金(しばきん),寅右衛門(とらえもん)という二つの家元があり,芝派が〈哥沢〉,寅派が〈歌沢〉と冠名(かむりな)を書くところから,総括した名称を〈うた沢〉と表記することが,大正の初期から行われている。 江戸の末期,嘉永(1848‐54)ごろの端唄の流行は,多くの愛好者を生んだが,愛好者たちのグループを〈連(れん)〉といった。…

【歌沢寅右衛門】より

…日本橋橘町の畳職で,流行の端唄を美音で歌い,〈平虎(ひらとら)〉と呼ばれる人気者であった。歌沢笹丸(大和大掾(やまとだいじよう)。1797‐1857)が1857年(安政4)6月新流〈歌沢節〉の認可を受け家元となった直後に〈平虎〉は寅右衛門と改名。…

※「歌沢笹丸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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