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小普請(読み)こぶしん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

小普請
こぶしん

江戸幕府における家臣団の一組織。 3000石以下の旗本御家人無役の者で編成され,旗本を小普請支配,御家人を小普請組とした。無役無勤の者で普請があった際に家人や召使を出したのが起りである。元禄3 (1690) 年,これまで人夫を出していたのを金納に変更して知行高 20俵以下は無役,20~50俵は金2分,50~100俵は金1両などと決め,これを小普請金といった。小普請組に編入される者は,老幼,病疾,罪科などで職を免じられた者が多かった。組織は時代によって変化したが,6~12組に分れていた。初め留守居支配であったが,享保4 (1719) 年に老中支配となった。慶応2 (1866) 年陸・海軍奉行の支配となった。

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百科事典マイペディアの解説

小普請【こぶしん】

江戸時代,無役の旗本(はたもと),御家人(ごけにん)のうち3000石以下の者が編入された組織。3000石以上の者は寄合(よりあい)に編成。無役の旗本,御家人が営中などの小規模な普請(小普請)に人足を供する義務を負っていたことから生じた名称。17世紀後半以降この人足役は金納となった(小普請金)。はじめ留守居,1719年以降は老中の支配下に属し,組に分けて統率された。1866年以降は陸海軍両奉行支配。なお小普請奉行江戸幕府の役職で,小普請方(こぶしんかた)の長官。幕府の土木,建築工事を担当する下三奉行(したさんぶぎょう)の一に数えられ,本丸,西ノ丸の各大奥,紅葉山(もみじやま)諸堂舎,増上寺(ぞうじょうじ),浜御殿(はまごてん)などの営繕を担当した。若年寄(わかどしより)配下。
→関連項目奥医師交代寄合甲府勤番水野十郎左衛門

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世界大百科事典 第2版の解説

こぶしん【小普請】

江戸時代の旗本,御家人で老幼,疾病や処罰などにより無役の3000石以下のもの。3000石以上の旗本は寄合に編入された。はじめ留守居支配に属し,1719年(享保4)から老中支配のもとに小普請支配が置かれ,これに属した。組に分けて統率され,46年(延享3)組頭を組ごとに1人置いた。元来無役の旗本・御家人は営中その他の小普請に人足役を出す義務を負ったが,1675年(延宝3)高1000石につき金10両の金納に改めるよう計画され,90年(元禄3)より小普請金上納が実施された。

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大辞林 第三版の解説

こぶしん【小普請】

建築物の小規模の修理。
江戸幕府の直臣団の組織の一。禄高三千石以下の旗本・御家人のうち無役の者を編入し、小普請支配に統率させた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

小普請
こぶしん

江戸幕府直参(じきさん)組織の一つ。無役直参の士の格式をも示し、小普請役を勤めたところから役職の一種とも考えられる。幕府では無役の直参中、家禄(かろく)3000石以上の士、およびそれ以下でも特定の家柄の士、また布衣(ほい)以上の役職にあった士が寄合(よりあい)に編入され、家禄3000石以下の士および本来は寄合の座班・資格をもつ士がときに処罰され小普請に編入された(ただし、中間(ちゅうげん)、小人(こびと)、黒鍬者(くろくわのもの)、駕籠(かご)者、掃除者の五役は、無役になっても小普請には編入されず、目付支配無役として別扱いにされた)。
 起源は、老人あるいは幼少で無役の者が、その埋め合わせに営中の小普請に家士・奉公人を人夫として差し出したところにあるという(夫役(ぶやく)の負担)。これは1675年(延宝3)もしくは1689年(元禄2)に金納にかわり、それを小普請金(こぶしんきん)といった(役金の上納)。寄合の場合は寄合金ともいう。これらを小普請役と称した。89年の制では、家禄20俵以下は役金の上納は免除され、20俵より50俵の内までは金2分、50俵より100俵の内までは金1両、100俵より500俵の内までは100俵につき金1両2分、500俵より以上は100俵につき金2両を上納する定めであった。寄合は100石につき金2両の割合であった(石も俵も同断)。初め留守居(るすい)の支配に所属し、1716年(享保1)には5組、3184人を数えた。1719年、200石以上の士は小普請組支配(老中支配、役高3000石、布衣、中之間詰)の管掌下に移された(10組)。1753年(宝暦3)、留守居の支配は廃止され、200石以下の士は小普請組支配の所属となった(12組)。これ以後、御目見(おめみえ)以上の士(旗本)を小普請支配、御目見以下の士(御家人(ごけにん))を小普請組と唱えた。各組に支配(頭)1人、組頭2人のち1人(頭支配、役高200俵、役料200俵のち300俵、御目見以上、焼火間(たきびのま)詰)があり、このほかに世話役、世話取扱、小普請金上納役などが所属し、小普請医師も配下にあった。1866年(慶応2)、小普請は廃止され(1863年=文久3年には5組に減じていた)小普請組支配は勤仕並(きんじなみ)寄合となり、配下の士は小普請支配、小普請組ともに海軍陸軍両奉行(ぶぎょう)並支配、同両奉行並組に編入され、小普請組のうち50俵以下の士は御持小筒組並(おもちこづつぐみなみ)、同勤方となった。[北原章男]

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