正家廃寺跡(読み)しょうげはいじあと

国指定史跡ガイド 「正家廃寺跡」の解説

しょうげはいじあと【正家廃寺跡】


岐阜県恵那(えな)市長島町にある寺院跡。県東部の恵那盆地南縁にある丘陵先端、標高325mほどの平坦地に位置する、奈良・平安時代の寺院跡である。2度にわたる発掘調査の結果、東西110m、南北70mの寺域に伽藍(がらん)配置などの概要が確認された。遺構は大きく2期に分けられ、前半期は掘立柱建物の回廊で主要堂塔を囲み、後半期は回廊に代わって築地となるが、西に塔、東には金堂が並び、その北に講堂を配する法隆寺式の配置である。出土した土器により、寺院の創建は8世紀前半~中ごろ、後半期は8世紀末ごろからと考えられ、9世紀後半に火災によって衰退し、10世紀前半には廃絶した。塔や金堂、講堂の基壇は乱石積みで瓦がまったく出土しておらず、屋根は瓦葺きではない。金堂の建物は桁行3間、梁間2間の身舎(もや)に4面の庇がついており、庇の柱は身舎に対して放射状に配置された特異なものである。このような柱配置の建物は現存する建築遺構にも発掘遺構にも見られず、類例として飛鳥時代の玉虫厨子(たまむしのずし)があるだけである。後半期には主要堂塔を囲む築地区画の東側にもう一区画が並置され、東側の区画内には掘立柱建物1棟と竪穴(たてあな)住居2棟が確認されていて、鉄滓(てっさい)、鞴(ふいご)羽口の出土から鍛冶(かじ)工房と推定され、寺院の造営や維持管理などの施設と考えられる。出土遺物には多数の須恵器(すえき)のほか、三彩の短頸壺、二彩の浄瓶(じょうへい)、鉄製の風鐸(ふうたく)など、注目されるものも見られる。主要伽藍の遺存状況がよく、金堂は特異な様式で建築史上からも貴重なものであることから、2001年(平成13)に国の史跡に指定された。JR中央本線ほか恵那駅から徒歩約15分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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