朝日日本歴史人物事典 「武田信満」の解説
武田信満
生年:生年不詳
室町時代前期の武将。甲斐国(山梨県)守護。信春の嫡子。通称次郎。安芸守。娘が上杉氏憲(禅秀)に嫁いでいた関係から,応永23(1416)年の禅秀の乱には姻族として,千葉介兼胤らと共にこれに加わった。翌24年1月の禅秀の敗死を受け,鎌倉公方足利持氏が上杉憲宗を甲斐に差し向けると,これを都留郡に迎え撃ったが敗れ,山梨郡木賊山(東山梨郡大和村)で自害した。彼の死後守護武田氏は,鎌倉府の後援により勢力の伸張を図る一族逸見氏の前に諸国流浪の時代を迎える。<参考文献>『鎌倉大草紙』
(堀内亨)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報