武田信満(読み)たけだ・のぶみつ

朝日日本歴史人物事典 「武田信満」の解説

武田信満

没年:応永24.2.6(1417.2.22)
生年:生年不詳
室町時代前期の武将甲斐国(山梨県)守護信春嫡子通称次郎安芸守。娘が上杉氏憲(禅秀)に嫁いでいた関係から,応永23(1416)年の禅秀の乱には姻族として,千葉介兼胤らと共にこれに加わった。翌24年1月の禅秀の敗死を受け,鎌倉公方足利持氏が上杉憲宗を甲斐に差し向けると,これを都留郡に迎え撃ったが敗れ,山梨郡木賊山(東山梨郡大和村)で自害した。彼の死後守護武田氏は,鎌倉府後援により勢力の伸張を図る一族逸見氏の前に諸国流浪の時代を迎える。<参考文献>『鎌倉大草紙

(堀内亨)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「武田信満」の解説

武田信満 たけだ-のぶみつ

?-1417 室町時代の武将。
武田信春の子。甲斐(かい)(山梨県)・安芸(あき)(広島県)の守護。上杉禅秀の乱に禅秀の親族としてくわわって敗れ,応永24年上杉憲宗(のりむね)の攻撃をうけ,2月6日自害した。通称は次郎。法名は道光

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の武田信満の言及

【甲斐国】より

…旧国名。甲州。東海道に属する上国(《延喜式》)。現在の山梨県。
【古代】
 古墳時代の甲斐は,前期には曾根丘陵地帯に銚子塚古墳(中道町)などいくつかの前方後円墳が出現し,後期には分布地域が広がり,姥塚(うばづか)(御坂町),加牟那塚(甲府市)など巨大な横穴式石室を持つ円墳も現れた。これら古墳の築造者で,この地の支配者であった甲斐国造(くにのみやつこ)が,大和の政権に貢上した馬は,“甲斐の黒駒”と呼ばれて名高く,その伝統は平安時代に駒牽(こまびき)の行事となった。…

※「武田信満」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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