殷富門院大輔(読み)いんぷもんいんのたいふ

改訂新版 世界大百科事典 「殷富門院大輔」の意味・わかりやすい解説

殷富門院大輔 (いんぷもんいんのたいふ)
生没年:1131ころ-1200ころ(天承1ころ-正治2ころ)

平安末期の女流歌人。藤原信成の娘。殷富門院亮子(すけこ)内親王(後白河院第1皇女)の女房歌林苑の有力な一員で,当時から有名な歌人であった。住吉社歌合(1170)以下多くの歌合に参加し,みずから歌合を催している。藤原定家,寂蓮,源頼政西行らと交際があり,多作で知られる。《千載集》以下の勅撰集に63首入集。家集《殷富門院大輔集》がある。《小倉百人一首》に〈見せばやなをじまのあまの袖だにもぬれにぞぬれし色はかはらず〉がとられている。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「殷富門院大輔」の解説

殷富門院大輔 いんぷもんいんの-たいふ

1131?-1200? 平安後期-鎌倉時代の歌人。
天承元年?生まれ。藤原信成の娘。殷富門院につかえる。俊恵(しゅんえ)の歌林苑(かりんえん)の一員で,西行らと交流した。多作ぶりから「千首大輔」とよばれ,「千載和歌集」以下の勅撰集に63首がとられている。建久3年門院にしたがい出家した。正治(しょうじ)2年?死去。70歳? 家集に「殷富門院大輔集」。
格言など】見せばやな雄島海人(あま)の袖だにも濡れにぞ濡れし色は変らず(「小倉百人一首」)

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