毛呂 清春
モロ キヨハル
明治〜昭和期の歌人
- 生年
- 明治10(1877)年4月18日
- 没年
- 昭和41(1966)年9月5日
- 出生地
- 京都
- 学歴〔年〕
- 国学院大学卒
- 経歴
- 京都の神官の家に生まれる。浅香社に入り、同じ萩之舎門下の林信子と結婚。妻信子は萩にゆかりのある歌集「萩のこぼれ葉」を刊行している。明治36年丸岡桂らと「莫告藻」を創刊。天の橋立の岩滝町の神社の神主となり、同地に与謝野寛、晶子の歌碑を建立。与謝野門下として終生歌を詠み続けた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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毛呂清春 もろ-きよはる
1877-1966 明治-昭和時代の歌人。
明治10年4月18日生まれ。京都府与謝(よさ)郡の男山八幡神社の神職。明治26年落合直文の「あさ香社」の結成にくわわり,同門の林信子と結婚。36年丸岡桂(かつら)らと歌誌「莫告藻(なのりそ)」を創刊。与謝野鉄幹(よさの-てっかん)門下として活躍した。昭和41年9月5日死去。89歳。京都出身。国学院卒。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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