短歌結社。落合直文(おちあいなおぶみ)が東京・本郷区浅嘉(あさか)町(現文京区本駒込3丁目)に住んだその町名にちなんで1893年(明治26)2月「あさ香社」と命名、結成した。直文主宰の歌文革新の私塾的団体である。現代の短歌結社の源流ともなる。歌文の革新を目的としたが、しだいに和歌を中心とした。社友は鮎貝槐園(あゆかいかいえん)、大町桂月(けいげつ)、与謝野鉄幹(よさのてっかん)、久保猪之吉(いのきち)、服部躬治(はっとりもとはる)、武島羽衣、尾上柴舟(おのえさいしゅう)、金子薫園(くんえん)ら約40名。作品指導は個性を尊重、自由な方針をとる。作品は新聞『日本』『自由新聞』『二六新報』紙上に発表した。鉄幹や槐園が朝鮮に渡ると活動が自然消滅の形となり実質的には1894年7月までで、鉄幹が帰国した1896年4月に歌会をもったのが最後となった。若い世代に和歌革新を待望し、古習を打破、青年の才能を発揮させたところに意義がある。
[藤岡武雄]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…一高,国学院などで教鞭をとるかたわら国語国文学の普及に力をそそぎ,《日本大文典》(1894‐97),国語辞典《ことばの泉》(1898‐99,のち《言泉》)などを出した。1888年長編叙事詩《孝女白菊の歌》で名声を得,93年4月にあさ香社を創立,実弟鮎貝槐園(かいえん),与謝野鉄幹らの俊秀を集めて新派和歌の基礎を築いた。没後刊行の《萩之家遺稿》(1904),《萩之家歌集》(1906)などがある。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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