氏家行広(読み)うじいえ・ゆきひろ

朝日日本歴史人物事典 「氏家行広」の解説

氏家行広

没年:元和1.5.8(1615.6.4)
生年天文15(1546)
安土桃山・江戸前期の武将氏家卜全の子で,名は直通ともいう。はじめ,織田信孝,次いで豊臣秀吉に仕え,天正18(1590)年の小田原攻め後,伊勢桑名城2万2000石を与えられた。慶長5(1600)年の関ケ原の戦には西軍として,同じ伊勢の神戸城の滝川雄利,亀山城の岡本宗憲らと呼応して桑名城に拠り,徳川家康に抗した。しかし支えきれずに開城し,出家して道喜と号し,西国を放浪している。のちの大坂の陣では,家康から10万石で誘われたが,それを蹴って大坂城に入城し,落城のとき豊臣秀頼に殉じて切腹した。

(小和田哲男)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「氏家行広」の解説

氏家行広 うじいえ-ゆきひろ

1546-1615 織豊-江戸時代前期の武将。
天文(てんぶん)15年生まれ。氏家卜全(ぼくぜん)の子。織田信孝,のち豊臣秀吉につかえ,伊勢(いせ)(三重県)桑名城主となる。関ケ原の戦いで西軍に属し,敗れて出家。大坂の陣では徳川家康が10万石でまねくのをことわり,慶長20年5月8日大坂城落城のとき豊臣秀頼に殉じた。70歳。美濃(みの)(岐阜県)出身。名は直通。法名は道喜。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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