朝日日本歴史人物事典 「氏家行広」の解説
氏家行広
生年:天文15(1546)
安土桃山・江戸前期の武将。氏家卜全の子で,名は直通ともいう。はじめ,織田信孝,次いで豊臣秀吉に仕え,天正18(1590)年の小田原攻め後,伊勢桑名城2万2000石を与えられた。慶長5(1600)年の関ケ原の戦には西軍として,同じ伊勢の神戸城の滝川雄利,亀山城の岡本宗憲らと呼応して桑名城に拠り,徳川家康に抗した。しかし支えきれずに開城し,出家して道喜と号し,西国を放浪している。のちの大坂の陣では,家康から10万石で誘われたが,それを蹴って大坂城に入城し,落城のとき豊臣秀頼に殉じて切腹した。
(小和田哲男)
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