日本大百科全書(ニッポニカ) 「民族史」の意味・わかりやすい解説
民族史
みんぞくし
人類学における歴史的研究の一つの方向に対して与えられた名称。特定の民族やコミュニティの歴史を再構成する。エスノヒストリーethnohistoryともよばれる。人類学のなかでの歴史の位置は大きく変化してきており、両者の関係は重要な問題である。19世紀の人類学は進化主義一色で、知るべきことは人類史という普遍的歴史のなかで、諸民族の制度、慣習、観念などの起源を求め、その進化、発展を跡づけることであった。進化主義人類学を批判した伝播(でんぱ)主義人類学も、結局のところ壮大な人類史の再構成に行き着くという点ではかわらない。こうした推量による歴史の再構成を拒否した構造・機能主義人類学は、詳細で全体的な民族誌的調査によって人類学を一種の歴史学から科学へと高めたといわれる。しかしその反面、構造・機能主義人類学にとっては「未開(無文字)社会」は歴史をもたないことになり、イギリスの代表的人類学者エバンズ(エヴァンズ)・プリチャードによれば、「彼らは推量による歴史を流し去る水とともに事実に基づいた歴史という赤ん坊まで捨ててしまった」。こうした反省から近年歴史に対する関心が呼び覚まされ、特定の民族やコミュニティについての単なる推量ではない、具体的で詳細な歴史的研究が次々に生み出されている。
人類学者が対象とする社会の多くは文字をもたないため、研究資料はおもに外部の観察者、つまり植民地行政官、宣教師、旅行者などが残した文書記録と、社会内部の口頭伝承である。民族史研究の盛んなラテンアメリカでは考古学的方法も用いられている。口頭伝承は神話か事実かという二者択一に還元されるべきではない。それはできごとについての集団表象であり、その社会固有の歴史意識を表している。口頭伝承からゆがみや誤りを取り除き客観的な歴史的情報を得る方法はジャン・バンシナによって、先鞭(せんべん)をつけられた(『口頭伝承論』)。その研究領域も多様で、特定の時間の経過のなかでの全体的な民族誌から、政治組織、親族体系、信仰体系の変化、植民地権力と原地の人々との関係、文化変容などがおもに取り扱われている。
[加藤 泰]
『川田順造著『無文字社会の歴史』(1976・岩波書店)』