水木京太(読み)ミズキ キョウタ

20世紀日本人名事典 「水木京太」の解説

水木 京太
ミズキ キョウタ

大正・昭和期の劇作家,演劇評論家



生年
明治27(1894)年6月16日

没年
昭和23(1948)年7月1日

出生地
秋田県横手町

本名
七尾 嘉太郎

学歴〔年〕
慶応義塾大学文科〔大正8年〕卒

経歴
在学中小山内薫に傾倒。大正9年「三田文学」の編集にたずさわり、慶応義塾大学講師として劇文学を担当。昭和5年丸善に入社し、雑誌「学鐙」を主宰。「東京朝日新聞」に劇評も書いた。戦後は月刊誌「劇場」の主幹を務めた。この間、多くの戯曲を発表し、作品に「殉死」「仲秋名月」「フォード躍進」、著書に「新劇通」、「戯曲集 福沢諭吉」などがある。イプセン研究でも有名。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「水木京太」の意味・わかりやすい解説

水木京太
みずききょうた
(1894―1948)

劇作家、演劇評論家。本名七尾(ななお)嘉太郎。秋田県に生まれる。慶応義塾大学文科卒業。小山内(おさない)薫に師事し、『三田文学』『学燈』編集のかたわら劇作・劇評に活躍、母校で劇文学を講じた。約30編の戯曲は堅実な作風で知られ、代表作『殉死』(1926)は日本近代劇の古典の一つに数えられる。女優七尾怜子(れいこ)は娘。

[大島 勉]

『『殉死』(『現代日本戯曲選集5』所収・1955・白水社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「水木京太」の解説

水木京太 みずき-きょうた

1894-1948 大正-昭和時代の劇作家,演劇評論家。
明治27年6月16日生まれ。小山内(おさない)薫に師事。戯曲の代表作に「殉死」がある。母校慶大の講師をつとめたほか,「三田文学」や丸善の「学鐙(がくとう)」を編集。戦後「劇場」の創刊にくわわり,主幹となった。昭和23年7月1日死去。55歳。秋田県出身。本名は七尾嘉太郎。

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367日誕生日大事典 「水木京太」の解説

水木 京太 (みずき きょうた)

生年月日:1894年6月16日
大正時代;昭和時代の劇作家;演劇評論家
1948年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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