日本歴史地名大系 「水無瀬庄」の解説
水無瀬庄
みなせのしよう
現島本町の
平安時代に入ると、当庄域は畑地の水田化が進み、港津としての機能とともに一般の庄園所領としての性格をもつようになっていった。長元二年(一〇二九)水無瀬庄司から東大寺に提出された報告によれば、当時の水無瀬庄田は、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
現島本町の
平安時代に入ると、当庄域は畑地の水田化が進み、港津としての機能とともに一般の庄園所領としての性格をもつようになっていった。長元二年(一〇二九)水無瀬庄司から東大寺に提出された報告によれば、当時の水無瀬庄田は、
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