律令制の官司の一つ。摂津国を統治する地方行政官司であるが,京城を統治する京職とともに,国を称さず職とするのは,摂津の地に副都である難波宮(なにわのみや)が置かれたことによる。大夫1人,亮1人,大進1人,少進2人,大属1人,少属2人の四等官が配され,人口,産業,徴税等のことをつかさどったほか,舟を管理したのはこの地が西日本の水運の中心地であったからであろう。677年(天武6)10月,丹比公麻呂が摂津職大夫になったとするのが初見史料である。奈良時代を通じて摂津職は存続する。793年(延暦12)3月,摂津職は改められ摂津国となるが,これは平安遷都に伴い同年に難波宮を廃止したことによる処置であったと考えられている。ただし近年の都城跡の発掘調査の成果によれば,難波宮の廃止は首都とは別に副都を置くという古代都城経営の理念をやめた784年(延暦3)の長岡遷都にもとめられている。そうとすれば,摂津職の事実上の廃止は記録にみえるものより若干さかのぼることになろう。
執筆者:狩野 久
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古代律令(りつりょう)国家の地方官司。摂津国には国司を置かず、摂津職がその管治にあたった。そのほか、遅くとも天武(てんむ)朝(672~686)に成立した陪都(ばいと)、難波(なにわ)京を所管し、主都における左右京職に相当する行政機関でもあった。大夫(かみ)、亮(すけ)、大進(だいじょう)、少進、大属(だいさかん)、少属で構成し、大夫は国司と違って、市(いち)、度量、道橋などをつかさどった。677年(天武天皇6)初めて丹比公麻呂(たじひのきみまろ)を摂津職大夫に任じたのは、難波京の成立に伴う摂津職の設置を示す。さらに津済(しんさい)、上下公使、舟具を管し、当時のもっとも重要な海関、難波津(なにわのつ)の往来を監察した。8世紀末、長岡・平安京の造営が始まり、また神崎川が開通して、難波京が廃されると、793年(延暦12)摂津職は摂津国司に改組された。
[八木 充]
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大宝・養老令制の官司。津国(摂津国)には難波宮があるため国司をおかず,在京官司に準じて摂津職をおいた。職掌は諸国司とほぼ同じで,国内の行政一般を行う。さらに難波津や市の管理も重要な職務であった。四等官の名称も在京諸職と同じく,順に大夫・亮・進・属となっていた。のちに長岡京への遷都,難波宮の廃止をうけて,793年(延暦12)職の名称を廃止し,摂津国となった。
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