文章世界(読み)ブンショウセカイ

デジタル大辞泉 「文章世界」の意味・読み・例文・類語

ぶんしょうせかい〔ブンシヤウセカイ〕【文章世界】

文芸雑誌。明治39年(1906)創刊、大正10年(1921)1月「新文学」と改題、同年12月廃刊田山花袋編集の投稿雑誌に始まり、自然主義文学運動の中心となった。

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精選版 日本国語大辞典 「文章世界」の意味・読み・例文・類語

ぶんしょうせかいブンシャウ‥【文章世界】

  1. 文芸雑誌。明治三九年(一九〇六三月から大正九年(一九二〇)一二月まで刊行。全二〇四冊。田山花袋主筆の投稿雑誌に始まり、新人発掘に貢献し、自然主義文学の一拠点となった。のち総合雑誌となり、「新文学」と改称

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百科事典マイペディア 「文章世界」の意味・わかりやすい解説

文章世界【ぶんしょうせかい】

文芸雑誌。1906年3月〜1920年12月,田山花袋を中心に博文館から発行投書雑誌として出発したが,やがて《早稲田文学》などとともに自然主義文学の一拠点となり,島崎藤村《桜の実の熟する時》,宇野浩二《蔵の中》や花袋,二葉亭四迷岩野泡鳴らの評論随筆などを掲載。また投書家の中から多くの作家評論家を育てた。1921年1月《新文学》と改題,同年12月廃刊。通巻216号。

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改訂新版 世界大百科事典 「文章世界」の意味・わかりやすい解説

文章世界 (ぶんしょうせかい)

文芸雑誌。1906年(明治39)3月~20年(大正9)12月,博文館より刊,通巻204冊。終刊後,21年1月から《新文学》と改題し続刊したが,翌22年12月終刊。この雑誌は投書雑誌《中学世界》(1898年9月~1930年5月)に寄せられる原稿が多くなったので,田山花袋が主筆になり前田晁(あきら)(木城)と,やや専門化した投書雑誌として発刊したもの。のち,《早稲田文学》や《趣味》(1906年6月~10年7月)とともに小説や評論をかかげ,自然主義文学運動のひとつの拠点となって行った。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「文章世界」の意味・わかりやすい解説

文章世界
ぶんしょうせかい

文芸雑誌。1906年(明治39)3月~20年(大正9)12月。全204冊。その後、翌21年1月『新文学』と改題、12月廃刊。12冊。博文館発行。編集は田山花袋(かたい)、長谷川天渓(てんけい)、加能作次郎。初め投書中心の作文練習誌だったが、しだいに投稿文芸誌に変わり、国木田独歩(どっぽ)の『二老人』(1908)、島崎藤村(とうそん)の『桜の実の熟する時』(1914)、田山花袋の『インキ壺(つぼ)』(1909)などを載せ、自然主義全盛の時期にはその推進の拠点となった。しかし、投書雑誌としての特色が制約となって、純文学の雑誌へと発展できずに終わった。だが、投稿により一般読者を文学界に参加させ、さらにその投稿家を多数文壇に送り出した功績は大きく、久保田万太郎、内田百閒(ひゃっけん)、岡田三郎、浜田広介(ひろすけ)、水野仙子らの作家がここから育った。

[畑 実]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「文章世界」の意味・わかりやすい解説

文章世界
ぶんしょうせかい

文芸雑誌。 1906年3月~20年 12月。 204冊。創刊号から田山花袋が編集にあたり,作文練習のための投書誌であったが,08年頃から文芸誌に変貌,花袋を中心とする自然主義作家の牙城として,また同系新人の登竜門として重きをなすにいたった。 13年4月号から長谷川天渓が,17年7月号から加能作次郎が編集を受継ぎ海外文学の紹介も盛んに行なって,加藤武雄,中村武羅夫,木村毅ら多くの新人を育てた。終刊の翌年『新文学』と改題して続刊が試みられたが,その年内に廃刊。

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